僕の失った味方の話


僕には「ひねくれ者」という言葉がよく似合う。

周りが何であろうと強がり、自分は自分精神を表面では崩さない。

周りが興奮しているとふと冷静になり周りが騒いでいるのが馬鹿らしくさえ思えてくる。

おかしい。

僕は生まれたときからこんなつまらない人間だったのだろうか。

もっと純粋無垢な時期があったのではないのだろうか。

そんな事を考えて、今までの人生を思い出した。

僕が狂い始めたのは、小学校三年生のあの日だった。




小学校三年生。その日は合唱発表会だった。

午前中から体育館で合唱や立ち位置のリハーサルを入念に行っていた。

僕はその日の本番を誰よりも心待ちにしていた。
なぜなら、友達と二人で合唱前のセリフを言うことになったからだ。
その子との関係も良好。何一つ文句のない合唱発表会。

平和に終わるはずだった。


歌っている途中、先生に呼び出された。
なんだろう。折角気持ちよく歌っていたのに。

急用かと思って見に覚えのない記憶を無理やり作って冷や汗をかいていた。
そう言えばこの日以前からいじめを受けていたから「何かあったのかも知れない」「なすりつけられたかも知れない」なんて被害妄想があったのだろう。


体育館の外、渡り廊下。
そこには泣きながら電話をしている母がいた。
今までのヒステリックな泣き顔じゃなく、何か違った感じで。

恐る恐る撫でようとしたが、今までの事が怖くて、僕は黙って電話が終わるのを待つしかなかった。

電話が終わった。途端、僕は母に抱きしめられた。

怖かった。驚いた。何一つ状況がつかめなかったから。


母が泣きながら僕に言った。



「じぃじ、もう死んじゃうかも。」



僕はその瞬間に、所謂『純粋無垢のオーラ』を剥ぎ取ってしまったのかも知れない。
自分の唯一の味方だと思っていた人。
遊んでくれた人。
いつも僕をかばってくれた人。
心の底から懐いていた人。


危篤。
元々ヘビースモーカーだった彼はがんにかかっていて、年々痩せ細り、骨と皮だけのような体になっていたが、どうやらもう永くないと判断された。

母以外の親族はほとんどじぃじのもとにいるようだった。


「最後にじぃじに会う?」と涙ながらに母が聞いてきた。


僕は、行かなかった。

一人の味方の命よりも、
所詮いつ裏切るかわからない一人の友だちの恥を優先したのだ。



昼休み、僕は教室の自分の席の目の前でへたり込み、大声で泣いた。
昼休みが終わるまで、ずっと。


あまりにも早すぎる犠牲だった。



どんなに悔やんでも悔やみきれない、人生における最大の過ちを犯した。


自分が放課後駆けつけたときには、もうあの人の笑顔はなくて。

弱々しく撫でてくれるあの手はもう動かない。



葬式では泣かなかった。
自分が見殺しにした命を見て善人たらしく泣く事はできなかった。
最後にじぃじは、僕が居ないことを寂しがっていたそうだ。


この時から、『自分は命を見殺しにした最低な人間だ』と言ってくる自分が僕のそばに付いてくるようになった。

一時期寝る時にその自分の声が聞こえていたくらいには色濃く残っている。


僕はそいつに殺されないように、弱々しく見栄を張る。



小学校の頃に偶に香ってきたじぃじの煙草の香りは、もうない。











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