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本を食べる:一〇三歳になってわかったこと その2~感覚~

 
本の中の一節や映画の中の台詞とか、誰かが話していた言葉とかって
読んだり聞いたりしたその時だけではなく、何気ない日常の中で
ふと浮かび上がってくるというのか、その言葉の意味が繋がる瞬間が
ある...と思うんですよね。
なんとなく引っかかる、なんとなく大事な意味がある...
ような気がしている、そんな不確かな感覚のまま、頭なのか心なのか
わからないけれど、自分の中のどこかに残されていて、
その存在さえ忘れるくらいの片隅で静かにじっと眠っていたものが、
ある出来事をきっかけにその目を覚まして
それがここだよ!それがここにあるよ!と騒ぎ出す...そんな感覚。
 
篠田桃紅さんの『一〇三歳になってわかったこと』の第3章の中に
「知識に加えて、感性も磨けば ものごとの真価に近づく。」
と記された節があります。
その中に、虫が知らせる、虫が好かないという表現の虫というものが
感覚であり、その感覚というものは、知識によるものではなく、
自らが感じ取るものを受け止めることで磨かれると話されています。
 
私という虫篭の中で鼻提灯をつくって寝転んでいる虫が、
日常で遭遇する出来事や出会う人々を経て与えられる感情や言葉から、
己のエサとなるものをパクパク食べて、
そこから彩りを七変化させているような姿が浮かぶ。
しかもその虫が、時には自分の願ったものとは違う形相になるような
怖さも孕んでいるように感じる。
だとすると、どんなエサを虫に与えていくのかということが、
虫の育ち方に大きく影響するような気がしてくる。
願わくば、酸いも甘いも清濁も、ほどよいバランスで与えながら
虫を育てていきたい。
そして、危険を回避したり、最善を見い出したりする虫の声を侮らず
耳をすませていたい。
 そんなことを考えていた日。

私の中で眠っている虫よ、今日は何を食べようか。

 

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