大人になりたい。なりたくない。

今回は日記とは別の括りでだらだら書いてこうと思う。


新入社員が眩しくて、毎日しんどい。
弊社は4月から在宅勤務を行っており、今年入社の新人達も全員在宅で研修中だ。部署柄、研修を任せられている立ち位置にいるのだが、4月から2ヵ月経った今でも衰えることのない新人のキラキラ具合に精神がやられてきた。

社会人4年目。いい加減独り立ちの年だ。もちろん分かっている。分かっているけれど、正直自分のことで精一杯である。
自分が入社した頃の4年目の先輩達ってもっとしっかりしていた気がする。後輩の面倒を見る余裕も、自分のキャリアについて考える力も、先輩や上司に意見をぶつけるだけの勢いもあった。「私も4年経ったらあんな風になるんだ!」と思っていた。なれるはずなかった。月日を重ねるだけでは先輩のようにはなれないのだ。元の人間が違うのだから。

この「なれるはずなかった」を人生で何度も何度も経験してきているのに、どうして毎回期待してしまうのか我ながら不思議である。高校に入っただけでは彼氏はできないし、大学に入っただけで意識高くはなれないし、会社に入ったからといってドラマみたいな社会人生活を送れるわけではない。
年齢を重ねるだけじゃどうにもならないと20歳越えた辺りから気付き始めたのに、やっぱりまだまだ成長できていない。

新人を見ていると、なんとも言えない気持ちに苛まれるのだ。
私も昔はこうだった。会社で自分が思い描いたように活躍できると、信じて疑わない。今年の子達はテレワークの影響で研修が長引いて実務に取り掛かるのが遅れてしまった分、前向きな希望を今でもずっと抱えている。私はどこで置いてきてしまったのだろう。
もしかしたらこれを読んで「いや、希望とかそんなものないよ」と思う新入社員の方もいるかもしれない。でも、先輩からしてみればやっぱり眩しいのだ。無意識に無垢だし、やる気がある。もしくは「やる気があるように見せておこう」という立ち回りが上手い。社歴を重ねれば重ねるほど、取り繕うことすらできなくなるから。

加えて、最近なにかと新卒採用に関わる機会が多い。内定者や選考中の学生の目を見ていると、マジで眩しすぎて溶けそうになる。そして、逆質問の時に「空野様ご自身のキャリアプランはどの程度実現できていますか?」と聞かれたりする。
この時、いつも思うのだ。私のキャリアプランってなんだろう。社会人になってから微塵も考えたことなかったな、と。
それでも私の口は、今までの業務経験と現在の業務を結び付け、事実と齟齬が生まれないような絶妙なキャリアプランをペラペラと語り出す。果たしてそれが学生の胸に響いているかはさておき、嘘とも真実とも言えないような対外的な言葉の塊を吐き出すことだけうまくなった。悪い意味で大人になってしまった。

それを実感した時、中学生ぐらいに戻りたいなと思ってしまった。
勉強道具は詰まってないのにやたら重たいスクールバッグを持って、部活帰りに友達とダラダラ通学路を歩いて、暑い日はアイスを食べたりなんかして。
日常的に非日常だったのだと思う。些細なことで友人と揉めたし、大人なんて理不尽だとよく分からないことで憤ったりもしたけれど、それでも毎日楽しかった。


私は今年で26歳になる。あの時確かに抱いていた心の浮遊感が、今ではもう思い出せない。

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