空っぽ人間の日記1 ~好きと嫌いと苦手~

最近よく思う。昔に比べて心の許容範囲が目に見えて狭まってきた。
高校生の時には気にならなかったような友人の些細な言動にめちゃくちゃイライラしたり、「うわあこれは嫌いだわ」と思う回数が増えた。

昔から苦手なものは多かったけれど、まさか大人になってから嫌いなものがこんなに増えるとは思わなかった。そして、その倍のスピードで嫌いな人も増えている。
心が狭まっているだけで、決して遅れてきた反抗期とか中二病じゃありませんように。斜め後ろ突っ走り承認欲求と合わせたら地獄絵図になるので。

私は昔から「苦手」と「嫌い」は別カテゴリーだと思っていた。
どういう分け方?同カテゴリーでしょ?
そう言われると少し困る。そこまで明確な分け方をしている訳ではないからだ。ただ私の場合は、完全に受け付けないものは「嫌い」と言っている。食べ物で言うとレバーがそうだ。
「苦手」と言う時は「まだ好きになれる余地があるかも」と思っている時。昔はアボカドが苦手だったが、今は好きだ。

食べ物で例えると分かりやすいけれど、人間関係だとこんなにうまくは伝わらない。「苦手な人」という表現は「嫌いな人」をオブラートに包んで言っているように伝わってしまう。実際そういう使い方をしている人の方が多いだろうし、「あの人苦手なんだ」と言われたら、結局私も「嫌いなんだろうな」と思うかもしれない。
けれど、世の中には一定数「苦手だけど好きな人」も存在すると思う。なにが苦手なのか説明するのは難しいけれど、決して嫌いではない……むしろ好きだ……だけど人に伝わらない……。そんな葛藤を何度か経験した。

私の「苦手だけど好きな人達」は根本がめちゃくちゃいい人が多い。聖人みたいな人もいる。自分がスカスカなので真正面からオーラを喰らったら溶ける自信がある。
それぐらい中身に差があるから、どうにもコミュニケーションの取り方が噛み合わず、併せて相手がそのことに気付いていないと「苦手だ…!!」とうっすいバリアを張ってしまう。
そういう時、私はいつもその人と距離を置くようにしてきた。私が必要以上に踏み込まなければ、ただのいい人という感想で終われるからだ。人間関係なんて深追いしない方が楽だし。

しかし社会人。そういうわけにもいかなくなった。苦手な人が上司。苦手な人が同期。苦手な人が取引先。社会人あるあるだと思う。
でもいい人だし…と自分に言い聞かせていた言葉は死ぬほど重たい呪いになったし、反動で相手のダメなところばかり目につくようになった。そのうち「苦手」は「嫌い」に変わる。
前はそんなことなかったのにな、と最初は少しへこんだが、最近は開き直るようにした。同カテゴリーではないが類似カテゴリーではあるから、最終的に一緒になることもあるよねと思うようにした。

それで済めばいいのだが、最近は「好き」が「嫌い」になるスピードの方がジェット機並みである。早すぎて笑いが止まらない。
そして「嫌いだ!!」とドデカイ感情が爆発するスピードもハンパない。そこはメンタルを考慮して時限爆弾式にしてほしいのだが、爆弾処理班が考えなしにとりあえず青い線を切っているんだろう。勘弁してくれ。
これ以上心が狭まる前にどうにかしないといけないのだろうか。心が広い人になるには、私が「苦手だけど好きだ」と感じている人達みたいになるのが正解だろう。……いや、多分無理だろうな。やっている最中に溶ける。それなら無理しなくてもいいかな、とも思う。

もしかしたら「嫌い」の感情がすぐ起爆するようになったのは、自己防衛の一種なのかもしれない。全部受け止めて潰れる前に、1回壊して作り直すだけの術を大人になって身に付けたのだろう。
そして普通はきちんと同じサイズで心を作り直せるけれど、私は面倒になってどんどん小さいサイズで作り直している気がする。そこで手を抜くのは、我ながらよくないと思う。そういうとこだぞ。

まずはこれ以上許容範囲が狭くならないよう、同じサイズで作り直せるようにしよう。目指せ、心の広い素敵な女性。


ちなみにこれを下書きしている時に、すでに1回「嫌い爆弾大爆発事件」が起きたので道のりはほど遠い。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。