琥珀と共有する寂しさ

漠然と二十歳を超えてからの人生を想定していなかった。
ので、友人と話している時に、あと労働が40年も続くという事実に途方に暮れてしまった。40年て。

もとより、仕事というか、働くことが好きな気質であるので、職場に行ってしまえばなんとかなってしまうのだが、あと40年仕事が続くのか〜…という時間軸の途方のなさに少しウケてしまった。私は、自分があと5年後にどうしているのかも分からない。でも、今日、梅酒と梅シロップを詰めたので数ヶ月後まではその感性を楽しみに生きていると思う。きっと。

就職し、大学時代は、美大という、いま思うと特殊な空間に生きていたのだなと、改めて思う。表現をしている人間が側にいることって、私にとっては少し救いのようなものになっていたのかもしれない(表現することに取り憑かれてしまうことはよくないけれど)
と、いうことを、社会で、普通は〜みたいな会話をされる時に自分はその場にいないように感じてしまうのだ。レイヤーや世界の解像度が違うみたいに。
普通という、内包されている言葉の定義が、美大と社会で、違ったのかもしれないな〜と思う。
そういう時、自分と世界の解像度というか視点が近しい人を見つけると、ああ、良かったなという安堵感がある。他にも同じように感じる人がこの世界にいるのだ。映画館や美術館へ通うのは、自分と近しい価値観の人がこの世界にいるのだと実感するためなのかもしれない。寂しさを共有しているような気持ちになる。


ひとまず、数ヶ月は、梅シロップと梅酒が仕上がっている過程を楽しみに生きていきたい。綺麗な琥珀色になるといい。


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