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“敬語”という素晴らしい文化の本質とは?

私、“敬語マニア”と自称したいくらい、敬語には思い入れが強いんです。
社会人初期のころ「ワンランク上のおもてなしをあなたに・・」的な雰囲気がウリのオフィスビルで受付をしていて、そこで厳しく仕込まれたのがきっかけなんですけど。

語りだすと止まらないので、今日は私が敬語について一番素晴らしいと思っているポイントをお話ししますね。

(敬語については色々なご意見、諸説あるかと思いますが、あくまでも私・Sophieの考えです。念のため‥)

敬語の何が素晴らしいかって、“敬語にあたる言葉”を使わなくても“言い回し”で敬意を表現することができるってことですよ。それが本当に粋でかっこいいと思うんです。

例えば、普段気になってる「お間違いございませんか?」ってセリフ。
ビジネスシーンからコンビニでチキンを注文するときまで、幅広く耳にするこのセリフ。ご丁寧に確認してくれてるんですよ。でも、私に言わせれば敬語としてはアウトです。

そもそも「ちゃんと合っているんでしょうね?」って、疑ってかかってません?すでに敬意が感じられないですよね。それに、たとえ相手が間違っていたとしても「違います」ってストレートに言ってはいけないんです。いくら「お」とか「ございます」とかで飾ってみても、そもそも言葉として「違う」はキツすぎるんです。

そもそも、チキンの種類を確認するくらい・・たった今「(味は)プレーンで」って言ったばっかりやん?「プレーンでお間違いございませんか?」なんて大げさな。「はい、プレーンですね」って復唱するくらいで十分では?
電話口でこちらの電話番号とか伝えた時とかも、復唱してくれるだけで良くないですか?
(ちなみに電話番号を聞く時は、「090‐〇〇〇〇‐△△△△」を一気に言わせて一気に復唱するのでなく、固まりごとに復唱すると相手も確認しやすいし「お間違いございませんか?」って確認する必要もなくなりますよ)

では、本当に相手が間違っている場合はどう言うのか?
「違う」と“指摘する”のではなく、“間違っていないかの確認を促す”のがひとつの正解です。これ、カドが立たなくてとてもスマートなやり方です。

例えば「手元の書類ではこうなっていますので、もう一度ご確認願えますか?」とか、「私は(そうではなくて)このように聞いておりますが、いかがでしょうか?」とか。例え100%相手が間違っていたとしても、一方的にあなた間違ってます!とバッサリ斬るのではなく、“見解に相違があるみたいですから、お互いもう一度確認しませんか?”ってスタンスを取りましょう。それが相手に対する礼儀です。だって、仮に自分が間違っていたとしても「違います」ってピシャッと言われたら、一瞬イラっとしませんか?

“敬語を使う”の本質は、“敬意をもって相手に接する”だと思うんです。
優しくていねいに、相手を敬う気持ちを伝えること。だから「違う」(他にも「ダメ」「悪い」など)というキツい言葉はなるべく避けるんです。謙虚に「私も間違ってるかもしれないので、一緒に確認してください」って態度を示せば、相手も素直になりやすいんです。「ごめん、こちらが間違ってた」って言いやすくなるんです。

今回の例で言うと、「正しいあたし、正義」はちょっと違うと思うんです。
「間違いがあれば正し、本来あるべきかたちに戻す」ことが目的なので、お互いが気持ちよく、そうなるように協力できることこそ、正義だと思いませんか?
それをスムーズにしてくれるのが、正しい敬語だと思うんです。

敬語って本当に素晴らしいツール、文化ですよね!
私たちにとっては当たり前すぎる存在なんですけど、敬語こそ後世に残したい“無形文化財”だと、心から思います。

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