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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(19)- 香港人の自己人認定 -

阪神淡路大震災発生

1995年1月、阪神淡路大震災を私は香港の朝のニュースで知った。

広東語のリスニング力のブラッシュアップの為に、朝のニュースを付けっぱなしにして聴きながら出勤準備をするのが習慣だった。

「日本の神戸で今朝大きな地震がありました」と聴こえた。え?神戸?いやいや、関西には地震なんて無いでしょ、と思いながらテレビの画面を見た。「日本 中部 大地震」と出ていた。日本人からすると「日本の中部」は名古屋辺りの感覚。名古屋は濃尾地震とかあったから大きな地震がきてもおかしくないよね、やっぱり神戸じゃないよね、と思いながら普段通り出勤した。

会社に着くとすぐさまあちこちから「ソフィ!お前神戸だったろ!大丈夫か!」との声が掛かる。「マジで神戸なの?」「神戸だよ!」その時点でもまだ実感できない。

前の会社の日本人社員が香港日本領事館からの5分ごとに更新されるFAXを転送してくれた。FAXが届くごとに死傷者の数がぐんぐん増える。見慣れた町名があれよあれよと増えていく。どうやら本当に神戸らしい。私の実家の町名も遂に出てきた。

会社から実家に電話してみるが、当然繋がらない。「こちらはKDDIです。お掛けになった電話番号は只今繋がり難くなっております。」のアナウンス止まり。ずっと電話を掛け続けたがKDDI止まり。周りも皆心配してくれた。やきもきするけれど何の情報も取れない。

好々爺の優しい心遣い

夕方5時。Import Dept. Manager に言われた。吃音があるしハゲでビン底メガネだけど本当に気の良い好々爺。大好き。

「ソ、ソ、ソフィ。き、今日は今から帰りなさい。家に帰って<6點鐘新聞(6時のニュース)>を観なさい。もしかしたら君のお母さんが映るかもしれないだろ。」

ニュース映像にたまたま私の母が映り込む可能性は限りなくゼロに近いと思うと申し上げたが、好々爺は「いや、もしかしたら!」と譲らない。会社の終業時間は6時だけれど、6時のニュースを見られるように今すぐ帰れと言う。朝からずっと家族の安否さえ掴めない私のことを気遣ってくれての特別措置。周りも皆賛成して快く私だけ早退させてくれた。好々爺、みんな、ありがとう。

安否は確認できた

帰宅して遠くの親戚に電話をして家族の安否確認をした。地震に見舞われた場所はインフラも壊れているかもしれないし、当然のことながら回線はパンクするだろう。そんなところへ海外から掛けても繋がるわけがない。地震の影響を受けなかった所なら繋がるはず。母が無事なら自分の親戚に安否は知らせているはず。ということで遠くの親戚からとりあえず家族全員無事の確認を取ってホッとする。

翌朝、また普段通り出社したところ、同僚から「ソフィ!お前のママから電話だぞ!」と言われる?え?私の母は広東語どころか英語さえ喋れないよ?なんで私のママだってわかるの?本当かな?と思って電話に出たら本当に母だった。いつも気丈な母の声が上ずっていた。あんな声聞いたことがなかった。よほど怖かったのだろう。私に安否を知らせようととにかく必死で電話してくれたのだった。

好々爺の爆発的優しさ

この時期はちょうど旧正月直前。旧正月とはいえ China Division は長期休暇など取れる部署ではない。しかしここでも好々爺は爆発的やさしさを発揮してくれた。「ご家族が無事で良かった。今すぐ日本に帰りなさい。2週間でも3週間でも好きなだけ帰りなさい。」と言ってくれたが、母からは帰って来るなと言われていた。家族全員避難所にいる、公民館に雑魚寝のところに私なんかが増えたら邪魔になるだけだから帰って来るなと言われたと伝えても「いや、帰りなさい!お母さんが何と言おうとソフィの顔を見たら安心するから。帰ってあげなさい。」と好々爺は引かない。好々爺に負けて帰ることにした。

旧正月前には家族、友人、会社、団体などで忘年会をやるのが香港の習慣。私の会社もちょうど忘年会をやったところだった。そしてまた上手い具合に私はなんとラッキードローでANAの香港東京往復チケットを頂いたのだった。本来的にはこういう業界内用特別チケットは変更不可なのだけれど、今度は社長(日本人)が頑張ってくれた。事情が事情なので香港大阪の往復に変更してやってくれと自身でANA香港に掛け合ってくれて、私は家族に会うためのチケットを頂いた。好々爺、社長、ありがとう。

同僚達からのサプライズ

そしてフライト前日。会社でサプライズ。なんと全員で私にカンパをしてくれたのだった。驚いた。感動した。

香港人はカンパが大好き。自然災害の被災者などへのチャリティではものすごい額の寄付が集まる。今は亡きタイガーバーム・ガーデンに行ったことのある方ならわかりやすいかと思うが、香港人は「生きている間に徳を積みなさい」と子供の頃から教えられる。「徳を積まずに死ぬと、こんな地獄に連れて行かれるぞ」という恐ろしい地獄絵図がタイガーバーム・ガーデンの至る所に描かれていた。その徳の一つとして寄付をバンバンやる。

そんな香港人気質を知っていたとはいえ、私は外国人。しかもお隣の大陸などではなく遠く日本で起きた災害。なのに、そんな私に全社員でカンパをしてくれた。なぜ私なんかに?

「だってお前は自己人だからな」

香港人の言う「自己人」とは日本語でいう「身内」の感覚。しかし日本人の思う「身内」よりもっと濃密な肌感覚。血の繋がりは関係無い。「自己人」に認定されるとされないとでは心の底での取り扱いが違う。信頼と親しみを持ててやっと「自己人」に認定されるのである。

嬉しかった。カンパの金額の多寡よりも、香港人同僚たちが私を「自己人」として認めてくれたこと、何のてらいもなくカンパを始めてくれたこと。心から感動した。未だにいろいろな香港人にこの話をするたびに泣いてしまう。相手の香港人も一緒に泣いてくれる。香港人には感謝しかない。

ここから私は自分のことを何の躊躇もなく「香港人」であると言うようになった。香港人から「自己人」として認定されたのだから。初対面の香港人にも「自己人」としての自信を持って飛び込んでいけるようになった。初対面でも一瞬で相手の懐に入り込めるようになった。インタビューなどで通訳をする際には、相手のバックグラウンドを事前に調べて理解しておく、香港のトレンド情報を把握しておく、などのプロとしての準備は当然必要だけれど、共通の香港人アイデンティティを持つ者としての自信は相手の信頼を即座に得ることがたやすくなる。

通訳者を目指す人へ

通訳者を目指す人たちに、相手と同じアイデンティティを持てとは言わない。しかし最低限、相手のバックグラウンドを事前に調べて理解しておく、その地のトレンド情報を把握しておく、という準備はしておくことが必須。以前、別の通訳者が付いているインタビューで、その通訳者が事前調査をしていないせいで話がうまく通じなくて私が助け舟を出すことがままあった。通訳者はぶっつけ本番で真っ白な状態で出て行けば良いのではない。事前準備からが仕事だというコンセプトを持っていなくてはならない。

写真は大好きな好々爺。今もお元気でいるかな。会いたいな。(続)

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