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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(28)- Hong Kong Filmart -

大阪アジアン映画祭では、本当に多くの物を得た。過去も今も。広東語通訳としての仕事の安定した機会。そして香港映画人と親しくなれる機会。ここでどれほど多くの良き友人を得たことか。感謝してもしきれない。

Hong Kong Filmart

大阪アジアン映画祭は長らく香港フィルマートとほぼ同時期に開催されていた。ある年、開催時期が重なったことで大阪アジアン映画祭への招聘ゲストのスケジュール調整が非常に困難だったことがあった。そこで賢明な大阪アジアン映画祭事務局は香港フィルマート直前の時期に設定するような戦略に変更し、それ以来、大阪アジアン映画祭最終日の翌日から香港フィルマートが始まるようなスケジュールになったのだ。

私自身も2012年以降、大阪アジアン映画祭終了後に香港へ飛び、常に香港フィルマートには参加していた。私自身は映画のバイヤーでも配給会社社員でもないけれど、香港フィルマートに乗り込み、数日前に大阪アジアン映画祭で顔を合わせた香港映画人と再会して「お!来てたの!」と言ってもらい、私のことを映画業界人として印象付けるという狙いだ。人脈を自分でゲットし確立し広げていくためには自費で香港に飛ぶこともその分の価値はある。

実際にこの費用対効果は大きかったと思う。大阪で会った人間に数日後また香港で会うと思っていなかった香港映画人は当然とても喜んでくれたし、大作の製作発表記者会見などにも俳優や監督の顔で入れてもらったり、果てはバックステージにまで入れてもらえたりもした。

大阪アジアン映画祭で繋いでいただいたご縁を強固なものにすることも出来るし、そうそう会えるわけではないような大物プロデューサーなどにもすんなり会える香港フィルマートは、自身の仕事のチャンスを広げられるだけではなく、一香港電影迷としての下世話な下心さえも満足させてくれた。この数年はスケジュールが合わず行けていないのが残念。そして今年はキャンセルとなった。またいつか参加できるのかな。

トップの写真は香港フィルマートでの制作発表会見の時のものだけれど、敢えて超大物が出ていないものを置いておく。日本の功夫映画迷なら知っている顔がちらほら。その後、この映画が本当に製作されたのか、或いは製作されたけれどなんというタイトルになったのかはわからない。

マーケットと人脈の開拓

フリーランスでしかも需要が少ない広東語通訳として生き抜いていくためには、香港人の集まるイベントなどに出掛けて、自分でマーケットと人脈を開拓していく必要がある。待っているだけでは仕事をゲットできるチャンスは転がり込んではこない。

とはいえ、様々なご縁が繋がって思いもよらない素晴らしい仕事に出会えることもある。(続)

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