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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(32)- NHKBS「アナザー・ストーリーズ」日本編 -

第3部 - 日本 - それは私

いよいよ『”燃えよドラゴン”誕生 ブルース・リー 最後の闘い』最終パート。いやもう本当に驚いたよ。

放送日は聞いていたが、どんな構成でどう編集しているのかは知らなかった。私の家のテレビはBSが入らない。どうしてもオンタイムで観たかった私は妹の家にお邪魔した。取材は受けていたので、香港編で少し出してもらえるのかなーと思っていたが、前半の香港編での出演は無かった。アメリカ編でもでてこない。最後にチラッとかなー、と思って観ていたら・・・。

ドーン!と出た

最後のパートで矢印がビューンと日本に飛んだ。そして写真がドーン!と出た。えっ???そ、そんなことありか・・・?

一緒に番組を観ていた妹の夫が突然画面に出現した写真を見て「これ、姉ちゃん?」と聞く。「そ、そうだよ・・・。」

「ソフィさんもちょっと出演してもらいますからねー」とディレクターに言われてはいたけれど、他の錚々たる出演者に比べて、私を撮影した尺なんか圧倒的に短かったので、撮影尺と番組内での使用尺の比率で考えてチラッと出る程度だろうと思っていたら、予想以上にドドーン!と使われていて本当に驚いた。李小龍會(現在は別場所に移っており、この店舗はもう無い)でのインタビュー、市場を歩く私(さてどこの市場でしょう?香港迷で番組を観た人ならすぐわかるかな?)、『Regards from the DRAGON - SEATTLE -』翻訳仕事の様子など、撮った素材全部使ったんじゃないかというぐらいの高消化率。

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こんなにフォーカスしていただけると思っていなかっただけに、本当に驚いた。そして心から感謝した。本当に楽しい仕事だったし、撮影コーディネイターとしてピンでやれる自信が付いた。

番組で使用されなかったエピソードを

せっかくなので香港編で出さなかった写真や書ききれなかったエピソードを補足しておこう。

『燃えよドラゴン』ロケ地ということでアバディーン香港仔にも行った。政府の「上岸」政策のおかげで今は本当の水上生活者はほぼいないそうだ。

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少し沖に停泊しているハンの島へ向かうジャンクに中継する手漕ぎボートも今は無い。が、車で迂回路を行くよりは海を横切った方が早いということで市民の足となっているエンジン付きの小型ボートが元気に営業中で、交渉次第で観光用に湾内をぐるりと回ってくれる。我々も「爺さんが手漕ぎするボートに乗った龍哥の視線」を撮影しようということでボートを一台チャーターした。それがこれ。

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龍哥の目の高さはこれでカンペキ。湾内をぐるり一周してくれと船頭のおばちゃんにお願いして夕暮れからの良い雰囲気の海上を撮影していた。すると我々のボートが別のボートに近付いて止まった。ん?なんで?と思ったら50代ぐらいのご夫婦が乗り込んできた。え?このボート、我々がチャーターしたんだけど?という顔で船頭おばちゃんを見ると「まあええやん」みたいな顔と仕草をする。モーターがうるさすぎて、船頭おばちゃんが言っているのが「ごめんなー、でもええやろ?」なのか「まあええやん、あたしの船やねんし」なのかは聞こえない。

カメラを回しているのを見てご夫婦が「テレビ?日本から?どこの局?」など聞いてくる。香港人は日本が大好きなので日本人や日本のテレビ局をとても歓迎してくれる。ご主人は子供の頃、水上生活者だったそうで、街市に晩御飯のおかずを買いに行って対岸にある家に帰るのに海を突っ切った方が早いというのでいつもこうやってボートを利用するのだそうだ。さすが元水上生活者。

『龍爭虎鬥』撮影目撃証人

元水上生活者だと聞いた私はおもむろに『龍爭虎鬥』のボートのシーンをここで撮影したんだけど、そんな話を聞いたことありますか?と単なる個人的興味から聞いてみた。「ああ、俺、李小龍見たよ。」

うぎゃー!これだからもう、香港の狭さは素晴らしいのよ!

「みんなが、おい!映画の撮影だって!李小龍だって!みんな出て来いよ!って叫んでるから出て行って岸から映画の撮影見てたんだ。李小龍?見えたけど遠くて何やってるかまではわからなかった。あ、着いた。じゃーね!サヨナラ~!」

「ちょ、ちょっと待って!もう少しお話を・・・!」の一言もエンジンの爆音にかき消され、ご夫婦はひらりと船から岸に上がっていなくなってしまった。じっくり話を聞けなかったのは残念だったけれど、こうやって龍哥を、『燃えよドラゴン』の撮影を、実際に観たという人にこんなところで巡り合えたミラクルに感謝した。多謝龍哥保佑。

そして香港での撮影はこのティピカルな絵を撮って終わったのだった。

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(続)

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