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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(4)- 初海外でのカルチャーショック -

初めてのアメリカで学んだこと

トップの画像は前回前々回と書いた「兵庫県の高校生のための国際交流研修」でウチのチームについてくれた先生からのプログラム終了時の評価。自分に語学の才能があると気付いていたので、こうやってネイティブからの評価をもらって嬉しかったし、更に自信もついた。とはいえ、ここでもまだ「じゃあ私は将来通訳者になる!」とは思わなかった。この時点でも通訳という生業があることすら知らなかったから。

この滞在中に私は自分が今まで慣れ親しんできた日本の文化や慣習と違うものをたくさん見て驚きいろいろなことを感じた。アメリカはえてして年齢より実力主義、だけど人との接し方はフレンドリーでフランク、WA州では成人とみなされる年齢が日本より早い、などなど。Brian は「アメリカの女の子は早熟すぎる。日本の女の子達はとてもピュアだ。」と言った。確かに、当時の高校生女子はお化粧もしていなくておぼこかった。そんな時代。

元から天邪鬼で反抗心の強い私は、この時に、今の日本の社会的システムでは遅かれ早かれ世界から後れを取るだろうと見て取った。いろいろな事に縛られるのが常に嫌だった。年齢が上だというだけで年下の者を、先生だというだけで生徒を、自分に服従させようとするメンタリティにずっと抗っていた。

高校でのハラスメント

実は高校で一人の英語の教師から嫌われていた。その教師自身より私の方が発音が良かったから。感覚でわかってしまうので英語を舐めていたということはあると思う。なんせなんせ全能感満載の高校生の頃ですから。全く以てカタカナ発音の英語教師を舐めてもいたと思う。反抗的なお年頃ですから。
その教師は授業で必ず端から一人ずつあてていくのだけれど、毎回必ず私だけを飛ばす。明らかに「お前は気に食わん」といった態度で。実は私のクラスに一人、オーストラリア帰りの帰国男子がいた。当然ながら英語の発音はネイティブ並み。彼は帰国子女なので発音が良くて当然という言い訳が出来るので、教師は彼のことは順当にあてて答えさせる。しかし私だけは必ず飛ばす。今なら多分パワハラになるんじゃないかな。当時は「ハラスメント」などという単語は存在しなかったので、単なる教師の意地悪で終わっていた。

そんな自信過剰な私がアメリカなんか行っちゃったもんだから、そりゃもういろいろと影響を受けてしまうわけで。

カルチャーショックの効果

帰国して夏休みの宿題の「読書感想文」に『限りなく透明に近いブルー』を読んでしまった。カルチャーショックを多々受けてきたばかりの私に、この本の内容はもう衝撃でしかなかった。ただでさえ活力エネルギーの渦巻く多感なお年頃だから、とても体制批判的な読書感想文を書いてしまった。完全に村上龍の退廃に影響された文体で、日本は年功序列と終身雇用制度を放棄しない限り衰退していくだけだ、なんて偉そうなこと書いた。そしてそれが校内で入賞し、県大会で優秀賞を獲った。両親は喜んだ。英語の勉強のためと言って参加した研修プログラムではパーフェクトの成績をもらって帰り、読書感想文は県大会で優秀賞を獲ったのだから。

帰国して現像した写真を見せたところ、「なんで墓の写真ばっかりなの?」と聞かれ万事休す。英語の勉強と偽って実は龍哥の墓参りが本当の目的だったことがバレた。しかし、英語の成績は良かったし、読書感想文も優秀賞を獲ったしで、華々しい成果が両親の目くらましとなってくれてセーフ。これも龍哥のご加護か。

後日談

読書感想文県大会入賞者の表彰式。家から直接出掛けたから日曜日だったのだと思う。お気に入りのセーターとパンツで家を出る私に母が「学校の制服じゃなくていいの?」と声を掛けた。「日曜日やのになんで制服着るの?しかも学校行くわけじゃないし。いいねん。」と颯爽と神戸新聞社に到着して驚いた。私以外の他校の入賞者が全員制服だった。え?なんで皆制服なん?

入賞者で撮った記念写真が学校に届いて、私は職員室でこっぴどく怒られた。「なぜ私服で行った!」「え?なんで制服で行かなあかんの?」「せっかくウチの学校から入賞者が出たのに、制服着てへんから校内新聞に載せられへんやろ!」「え?なんで制服ちゃうかったら校内新聞に載せられへんの?」
初回に書いたけれど、全く以って帰属意識ゼロの私。学校を代表して、なんていうコンセプトが全くなかった。ということで私の優秀賞は闇に葬られた。(続)

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