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フェアネスをみくびるな。

多少なりとも近いところで仕事をしているということで、意図的に触れないようにしていた、オリンピックの話。

この大事業にかかわる、あらゆる人にリスペクトとシンパシーを感じているし、ましてや友人とあらば尚更で、本当にこの厳しい状況の中でよく頑張っていると讃えたい気持ちでいっぱいだ。これは決して建前ではない。

ただ、このことに関してさまざまな意見や見解が飛び交う中で、これだけは書いておきたい、ということがある。スポーツにとって、もっとも大事なことは、フェアである、ということだ。例えばスポーツは近世、戦争に替わる概念として発明され発展した、などという記述を目にすることがある。ナショナリズムの発露の場という意味ではあながち間違いとも言えない部分もあるが、大きな違いは、戦争にフェアネスはない、ということ。

いやもちろん、宣戦布告のルールとか、停戦合意のルールとか、少しフェアにやろうぜ的な要素はないこともないけれど、そんなんカップラーメンについているスペシャル調味料ぐらいの意味しかなくて、基本は、アンフェアを極めた殺し合いにすぎない。

スポーツは、フェアだからこそその存在価値がある。そのことは決して、いっときたりとも軽んじてはならない、と僕は考える。そして、この記事を読んで、とても共感したのでシェアさせてもらいます。

山口さんは、現職のJOCの理事だ。発言に対しては非常に大きな責任がついてくる。その彼女が、はっきりと、警鐘を鳴らしている。「アンフェア警報が出てますよ!」と。

ここはこの文章の中で一番大事なところではないが態度を示さないのもそれこそフェアでないので自分の意見を書くと、個人的には開催自体は「賛成」であり、開催の中止を求めるという意思はありません。

ただし、重要なポイントが二つ。開催をするならば、徹底的に「この状況下でどうしたらフェアな大会が開けるか」について、最大限配慮をしてもらいたい。この点においては、経済的効果を上回るレベルの、本当に最大限の対応が必要だと思う。

フェアネスを徹底するためにやるべきことは、無数にあると思うけれど、中でも一番象徴的で重要なことが二つある。

1)残念だけど、無観客で実施する

2)来日選手のパフォーマンスを発揮するのに障害になる要素を排除する

まず1は、3月に海外からの観客を断念した時点で、無観客を決断するべきだっと思う。オリンピックの観客席には世界中のすべての人が座る権利があるのであって、開催国民(いや、開催国居住者が正しいですね)だけが見守る試合は、どうやったって、全く、フェアとは言えない。この点で、開催国に対してある程度「ホームの特権」が明確になっているサッカーやラグビーのワールドカップとは明らかに異なる。

サッカーやラグビーのワールドカップでは、開催国は組み合わせ抽選に恵まれた上に、もっともスケジュールが楽になる開幕戦に登場するのが常ですからね。

例えば、東京の後に間近に迫った北京冬季オリンピックで、中国在住者のみ観戦可能、となったら、どう思います?やっぱりちょっと不安ですよね。それと同じで、世界中の人がテレビを通してしか見ることができない大会で、会場にいるのが日本在住者ばかり....いやそれはやっぱり、フェアとは言えないですよ。

そして2は上記コラムで山口さんが触れている通りで、来日したはいいけれど、満足な練習もできない、というのではあまりに酷。恐れているのは、日本がメダルを取りまくること。本来嬉しいはずのことが、怯える要素になるなんて実に寂しい限りだけど、史上最多のメダル数、みたいな記録が残ってしまう可能性が高い。こういうのが、逆にスポーツから人を遠ざけるかもしれない。いわゆる、興醒めというやつだ。

たとえばもし、全競技でフェアな対戦環境を提供するのが無理というのであれば、スクラッチ(開催辞退)する競技が出てもそれは仕方ないと思う。山口さんも書いているように、ゴルフやテニスにとってオリンピックは最も重要な大会ではない。でも、競技によってはどうしてもオリンピックが必要なものもたくさんある。そういう競技がフェアにきちんと開催されることを保証できてはじめて、このオリンピックは開催する価値があると思う。


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