見出し画像

【H】Happiness:私の幸せ


【H】Happiness:幸せ

そらのAtoZ、1年以上ぶりの更新。ふと書きたくなったから書くよ!笑。


正直、私は今とっても幸せ者だと思っている。

なんでかって?「居場所がある」と思えるから。


これはあくまで私個人の考え方だけど、人って自分の存在を認めてもらえなくなったとき、受け入れてもらえなくなったとき、身体は生きているけど心が死ぬんじゃないかって思っている。

みんなに認めてもらう、みんなに受け入れてもらう必要はないし、そんなの不可能だって思うけど、どこかひとつだけでも居場所が必要だと思う。

ありがたいことに、今、私には居場所があると思えている。どんなに辛いことがあっても、どこかに居場所があるから乗り越えられている。


居場所があることに幸せを感じられるのには、原因となる2つのきっかけがあると思っていて。

1つ目:何年も前だけど、クラスで「真面目だね」って、どこか距離を取られているような感覚を感じたこと。真面目なのが原因じゃなくて、シンプルにとっつきにくい人間だったのかもしれないとも思うが笑。

2つ目:一緒に帰っているつもりだったのに、「ついてこないで」「一緒に帰りたいなら許可取って」って言われたこと。今思えば「どういうこと??」である笑。でも当時は、私はその輪の一員として認められてなかったんだなって衝撃が走ったよね〜。


だから、私と普通に、そう普通に話してくれる人がいるだけで、流れるように会話ができているだけで、会話の輪に入れているだけで、本当に嬉しくなるのです。


私の心に残り続ける苦ーい思い出の中学3年間。図書室に逃げ込むと、普通に私と話してくれる本好き仲間と司書さん。

コロナ禍で物理的に居場所が家だけになって全く会わなくなったけど、何かあったら相談しようと思える学校の友人。

卒業して何年も経っても、ふとしたきっかけで集まれる高校の友人。

街中で会うと「あ、そらちゃん〜」って声をかけてくれる近所の人。

街中で会っても気づいて声かけてくれる、本屋の店員さん。

20年弱のお付き合いのクリニックの先生と看護師さんたち。

後から加わっても歓迎してくれて、たくさん話聞いてくれて、応援してくれて、アドバイスまでくれる朝活コミュニティのメンバー。

声と今日の予定だけで、私の気持ちを当ててくるまるでエスパー?な祖父(笑。

きっとまだまだいますけど、そうやって「あ、私ここにいていいんだな」って思えたとき、人の優しさを感じたとき、ふとした瞬間に幸せ者だと思うのです。


そんな人たちに私が何か貢献できているのか、ちょっと自信はないですけど、だから何かを任されるとついついそれ以上で返したくなってしまうんだろうな。







では、素敵な1日になりますように。