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高校の時の話(20200130)

皆さん,お疲れ様です!
今日は,noteの企画に参加してみようと思います。

私の投稿を読んで下っている方はご存じかもしれませんが,私は小学校4年生から野球を続けています。
今までの投稿で,高校の頃の話を詳しくすることが無かったのでこの機会を使って書いていこうと思います。
まず,私の高校野球生活はこの言葉から始まりました。

「高校で一緒に野球一緒にやらへんか?」

この言葉を当時の母校の監督さんからかけていただき,野球をすることを決めました。それまでは「お医者さんになるために勉強するのもいいな」と思ったり,「高校でマネージャーになるっていうのもいいかもしれない」と考えたこともありました。
ですが,自分を必要としてくださっていることに喜びを感じ,やるならエース。チームの核になろうと決めました。

そうして始まった高校生活。実は私は中高一貫校の出身であるため,他の中学校から高校に入ってくる同期より早めにチームの練習に参加していました。その甲斐あってか,同期の中では一番早くAチームの試合に一年生ながら出させていただき,とてもいい経験を積ませてもらうことが出来ました。
あの時のことは今でも覚えています。周りは三年生の先輩方ばかり。しかも私のボールを受けてくださってくれていたのは,キャプテンの方。緊張しながらも一球一球に力を込め,抑えることができました。先輩方にも褒めていただきとても嬉しかったです。

時は変わって,高校初めての冬。練習は負荷がとても強く,厳しいものでしたが僕は”野球”が好きなので,不思議と苦しいと感じたことはありませんでした。トレーニングもとても楽しく,自分の成長を少しずつではありましたが実感していました。

一個上の先輩方とは仲も良く,自分なりに思い入れがありました。先輩方のためにできることはやろう。そう決めていつも練習,試合,先輩のマッサージに取り組んでいました。そうして迎えた夏の選手権大会予選。一回戦に勝ち,二回戦。相手は第一シードの強豪。のちに自分たちの代からプロ野球選手が出たような高校なのですが,恐れることなく向かっていく先輩たちの雄姿がかっこよくて,試合に負けていた終盤,自然と涙がこぼれてきました。
「なんでお前泣いてるの(笑)」と試合中に先輩に言われたほどです。
試合に負けて,ベンチの前で聴いた相手校の校歌と,勝って歌った校歌。絶対に忘れないと決めました。

こうして始まった自分たちの代。後輩たちはやんちゃなやつが多くて,私はいじられてばかりでした。けれどもセンターラインはピッチャー以外は一年生。実力的には頼れる子がたくさんでした。たくさんのことがあって大変な状況でしたが,色々な経験を積ませてもらいました。4番を打たせてもらったり,1番を背負わせてもらったり。自覚を持ってこのチームを勝ちに導こう。そう思っていた時に,怪我が重なりました。足の骨折に続き,肘を骨折してしまいまい,最後の夏は投げることができない。そうなってベンチを外れるべきかどうか考えていた時に監督さんから,

「お前が必要だ」

と言っていただきました。投げることのできない自分に価値はないのではないかと思っていた中で,できることを誰よりもやってやろうと覚悟を決めることが出来ました。

結果的に,一回戦で私たちの夏は幕を閉じました。「投げてれば勝ってましたよ」と言われたこともありました。自分でもどうなってたかなと今でも思うことはありますが,高校野球人生に悔いはありません。面白くて色んな話ができる同期に出会えて私は幸せです。

これからは親に最後の夏,見せることの出来なかったマウンドに上がって躍動する姿をたくさん見てもらえるように努力します!


読んでくださりありがとうございました!
明日も頑張っていきましょう!!
それでは,おやすみなさい。

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