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マラルメを読む

  挨拶

何ものでもない、この泡立ち 処女である詩句
ただ グラスを指し示すばかり。
あたかも遠く、人魚が群がって
身を躍らせて沈んで行くよう。

われら海を行く、おお わがさまざまの
友らよ、私はすでに艫(とも)にあり、
君らは舳(へさき)、はなばなしくも掻き分ける、
雷と轟く真冬の波浪を。

美しい酔いにさそわれて、
船の動揺をものともせず
私は立って、この乾杯を捧げる、

寂寥、暗礁、極北(かなた)の星、
われらの帆の真白い悩みを
得させてくれた あらゆるものに。

『マラルメ全集Ⅰ 詩・イジチュール』筑摩書房, 2010, p.4-5


ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)は、アルチュール・ランボーと並ぶ19世紀フランス象徴派の代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。

マラルメの詩と思索は難解さをもって世に知られる。文法が一般的なフランス語法から乖離していることもその一因であり、マラルメが好んで難解さを求めたこと、物事を仄めかすことによって何かを伝えることを目的としたこと、文法よりも詩的リズムを重視したことなどが理由として挙げられる。

彼の思索は、その文学中心主義に特徴がある。「世界は一冊の書物に至るために作られている」という彼自身の言葉がそれを表している。例えばバレエを「身体で描くエクリチュール(文字、書く行為)」ととらえて表現した有名なことばなどは、20世紀の舞踊論に大きな影響を与えたが、芸術の表象が記号として機能していることを早くに喝破した。そしてそのように、文学にまつわるあらゆる事象を読解するその視線は、いまなお多くの可能性を含んでいる。(Wikipediaより)

冒頭の詩は、2010年に筑摩書房より刊行されたマラルメ全集に納められた最初の詩である。ある海路のはじまり、挨拶と乾杯の風景、シャンパンの泡立ちが群がる人魚たちのイメージに擬せられ、これから始まるであろう旅立ちにおいて詩人は舳ではなく艫に立っており、真冬の海の厳しさに向けて「真白い悩み」、寂しさや暗礁への予感なども混じっていることを伺わせる。

原語はフランス語であり、フランス語で読むときの音の響きやリズム、韻などは残念ながら翻訳では失われざるをえない。しかし、マラルメが考えたこと、想像したことの芳香を感じることができるような気がする。

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