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クライスト『チリの地震』を読む——カタストロフを背景に人間同士の猜疑と不信を描いた孤高の作家

そして実際、人びとの地上の財がことごとく壊滅し自然がまるごと滅亡してしまいかねなかったあのおそろしい瞬間の只中にこそ、人間の精神そのものがあたかも美しい花のように花開いたかのようだった。あたかもあの共通の不幸がそこからのがれ出た人びとすべてを一つの家族と化せしめたかのように、野原には目路のとどくかぎり、領主と乞食、老貴婦人と農婦、官吏と日雇人夫、僧院長と尼僧、とあらゆる階層の人間がごたまぜにまりじあい、同情を寄せあい、たがいに助けあい、生命を保つよすがとなりそうなものをよろこんで分かちあうさまが目撃されたのである。

H・V・クライスト『チリの地震:クライスト短篇集』河出文庫, 1996. p.23-24.

ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist、1777 - 1811)は、ドイツの文学者。激しい生涯の果て、34歳で女性を射殺して自らも拳銃で自殺した。その作品は20世紀に入ってから評価が高まり、トーマス・マンやフランツ・カフカなどの作家に大きな影響を及ぼした。代表作に小説『O公爵夫人』『ミヒャエル・コールハース』など、戯曲『ペンテジレーア』『こわれがめ』などがある。『ペンテジレーア』についての過去記事も参照のこと。

34年のクライストの短い生涯は、何をやっても、ものにならなかった。生まれはプロイセン軍人の家系だったが、10代で両親が病没。少年兵として軍隊に入り、5年後に将校に昇進するが、まもなく自分は軍職に向かないとさとり退役した。大学で数学、物理学、哲学を学びはじめるが、「パンのための学問」に嫌気がさし、ルソー主義にかぶれてスイスの農村に隠棲した。しかしものにならず、この頃しったヴィルヘルミーネという女性との結婚を試み、永い春の末に失敗。家なき人のようにたえず旅に出るが、行く先々でスパイの嫌疑を受けた。時代は、フランス革命に続くナポレオンのドイツ、ロシア侵攻の只中にあって、ヨーロッパ中が騒然たる興奮のるつぼに投じられていた頃であった。

普通の人ならこの辺で引き下がるだろう。しかし、クライストは二つの大きな賭けに出る。一つは時代の帝王ナポレオン暗殺の試み。もう一つは、劇作の成功によって、これまた同時代最高の詩人ゲーテの「額から月桂冠を奪う」文学的決闘の野望だった。一つ目はもちろん諦め、二つ目の劇作上演は、喜劇の上演と悲劇の雑誌発表を実行するも、彼の求める水準には到底及ばなかった。それからジャーナリズムに向かい、次々に雑誌を発行した。しかし当てがはずれて、ついに挫折する。1811年11月21日、クライストは前年知り合った女性ヘンリエッテ・フォーゲルをベルリン郊外ヴァンゼー湖畔において射殺し、直後同じ拳銃で自らの命を絶った。両者合意の上での心中であった。

クライストの作品は、古典主義とドイツ・ロマン派の間にあり、そのどちらにも属さなかった孤高の詩人・劇作家とも言われる。その作品はいずれも、非常に完成度の高い文体と短篇技巧を有する。彼の作品の主題にはいくつかの特徴がある。いずれも叙事詩的な物語が、カタクリスム(天変地異)やカタストロフ(ペスト、火災、植民地暴動)を背景にしていること、人物たち一人ひとりはあくまでも彫刻的な硬質の輪郭において際立っているのに、彼らの間には接触不能の透明な薄膜が張られているかのように言葉が通わず、ために人間関係がたえず猜疑と不信の非伝導物質にさえぎられて悲劇の淵に引き込まれてゆくことである。

冒頭に引用した小説『チリの地震』はクライストの代表的な短篇作であり、1647年に実際にチリで起こりサンティアゴの都市を崩壊させた大地震を素材にしている。二人の恋人ジェローニモとジョゼフェは恋仲を引き裂かれ、ある事件を背景にしてジェローニモは投獄され、ジョゼフェは死刑となる。男は首を吊って自殺をしようとし、女は死刑執行になろうとするその直前に、大地震が起きて、命拾いをするのだった。二人は逃避行をして、新たな人生を始めようとするが、彼らを待ち受けていたのはやはり悲劇の運命だった……という物語である。

作品の直接の素材となっているこの地震とともに作品成立の背景をなしているのが、1755年に起こったリスボンの大地震である。津波の死者1万人を含む5〜6万人が亡くなったと推計されている。ヨーロッパに未曾有の被害をもたらしたこの災害は当時の西洋思想界に多大な影響を及ぼした。特に、地震が起きた11月1日がカトリックの「諸聖人の日(万聖節)」であったために、「神義論」(万能の神がなぜこの世に悪を作ったのか)に関する多くの議論を啓蒙主義者や哲学者の間に引き起こした。

この小説はまたフランス革命のアレゴリーとしても捉えられている。作中では大地震によって僧院や牢獄といった権威を象徴する建物が崩壊し、非難した人々の間で身分の格差のない一種のユートピア的な社会がつかの間実現するが、間もなく教会での高位聖職者の説教と暴動によって、地震以前の秩序の回復が試みられる。これはフランス革命が辿った経過と照応しており、フランス革命に批判的だったクライストの革命の行く末に対する考えを反映していると言われている。



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