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豚、悪霊、不合理な欲求——ドストエフスキー『悪霊』を読む

私の考えでは、この文書は病気のなせるわざ、この人物に取りついた悪霊のなせるわざである。はげしい痛みに苦しんでいる人間が、ほんの一瞬でも苦痛を軽減できる姿勢を見いだそうとして、ベッドの中でもがきまわる姿に、これは似ている。軽減できないまでも、せめて一瞬なりと、以前の苦痛を他の苦痛で置き換えようとするのである。こうなるともう、当然のことであるが、その姿勢の美しさとか合理性とかは問題にもならない。この文書の基本思想は——罰を受けたいという恐ろしいばかりの、いつわらぬ心の欲求であり、十字架を背負い、万人の眼前で罰を受けたいという欲求なのである。しかも、この十字架の欲求が生まれたのが、ほかでもない十字架を信じない人間のうちにであったこと。——「これだけでもすでにれっきとした思想ですよ」とは、かつてステパン氏が、もちろん、別の機会にであるが、いみじくも喝破した言葉である。

ドストエフスキー『悪霊(下)』江川卓訳, 新潮文庫, 1971. p.662.

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821 - 1881)は、ロシア帝国の小説家・思想家である。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

彼はモスクワのマリヤ貧民施療病院の官舎で生まれた。父のミハイルはこの病院の医師で、のちには院長となったが、大地主・貴族の出身であったトルストイやツルゲーネフと比べると、作家の育った生活環境は比較にならぬほど貧しかった。この父親は、ドストエフスキーが18歳のとき、持村の農民たちの恨みをかって惨殺され、この事件は彼の魂に生涯消えることのない傷痕を残した。ドストエフスキーは文筆活動で身を立てることを決意し、処女作『貧しき人びと』が好評を博すも、その後は芳しくなかった。そのうち、ドストエフスキーは社会主義のサークルに接近し、革命活動に加担したとの罪で死刑を言い渡される。銃殺刑の直前、皇帝の特赦として減刑になるも、これは当局が仕組んだ残酷な芝居であった。1849年、ドストエフスキー28歳のときである。死と間近に対決させられたこのときの恐怖体験は、ドストエフスキーの精神を根底から震撼するような衝撃となった。生涯の持病となった癲癇も、この前後から悪化したといわれる。1850年から4年間にわたるシベリアの監獄での生活を経て、その後の彼は数々の文学作品を世に送り出し、名声と地位を確かなものにしていった。しかし、40代以降の彼の人生は波乱万丈であった。愛人スースロワとの地獄絵図的な情事、妻マリヤの病死、兄ミハイルの死、雑誌経営の失敗などが相次ぐ。さらには借金取りから追われた旅先で、賭博で一文無しとなるも、その最中に名作『罪と罰』の構想をまとめあげたりしている。彼はいわゆる破滅型の作家の典型であり、日本で言えば太宰治のような、自分の人生の悲惨を文学に昇華させることが天才的に上手かったタイプと思われる。1881年、59歳にして肺動脈の破裂が原因で永眠した。

小説『悪霊』は、1873年(ドストエフスキー52歳時)に出版された彼の代表作の一つである。無政府主義、無神論、ニヒリズム、信仰、社会主義革命、ナロードニキなどをテーマにもつ深遠な作品であり、ドストエフスキー五大長編小説の一つ。冒頭に引用したのは、いわく付きの「スタヴローギンの告白」という章からのものである。当初は第2部第8章に続く章として執筆されたが、その告白の内容が「少女を陵辱して自殺に追いやった」という過激なものであったため、連載されていた雑誌(ロシア報知)の編集長カトコフから掲載を拒否された。やむをえず後半の構成を変更して完成させたため、単行本化のさいにもこの章は削除されたままとなり、約50年の間、原稿自体が所在不明となっていた。しかし、1921年から1922年にかけてこの章の原稿が2つの形(校正刷版と夫人による筆写版)で発見され、いずれも出版されることとなった。

「悪霊」という小説のタイトル自体は、新約聖書「ルカによる福音書」第8章32-36節からとられている。しかし、作者はこの「悪霊」という言葉に人間の不合理な欲求を起こさせるものを重ねていると思われる。それは「罰を受けたいという恐ろしいばかりの、いつわらぬ心の欲求であり、十字架を背負い、万人の眼前で罰を受けたいという欲求」と表現されている。それは、例えば「犯罪の瞬間にも、また生命に危険の迫ったときにも」起こるような欲求であり、「度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたてられる」ものであるという。人間の獣性、生まれつき持っている情欲のようなもの、そしてそれを支配しようとする人間的理性。悪の快感を欲求しながら、それに対する罰を希求する相反する心理。そのような不合理な欲求を抱えながら生きざるを得ない人間には、「悪霊」が取り憑いているのかもしれない。

「悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。」ルカによる福音書にはそう書かれている。


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