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Nさんへの手紙ー水俣を訪ねて

Nさんへ

うららかな春の日差しが心地よい今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。

あの日、家をのぞいたときに、Nさんに「お茶でも飲んでいきませんか?」と声をかけていただいたときの印象が強く残っています。おかげで少し緊張していた私は一気に安心して、玄関をくぐらせて頂きました。

今回のNさんのお話で、水俣病について深く学ぶことができました。本当に、目から鱗が落ちるような思いでした。

私の中で水俣病は、教科書に出てくる公害病の一部であり、故郷である佐賀県と同じ九州で起きたことであり、しかしながら、もう古い昔に終わったものだと思っていました。

最初にNさんのお話を聞かせていただいたとき、まだ水俣病に関する基礎知識や、数々の事実が頭に入っていなかったので、全て理解することはできなかったのですが、Nさんの真剣なまなざしと、水俣病の方達のことを語るときの尽きないエネルギーのようなものをひしひしと感じました。そして、Nさんが全身全霊でこの問題に関わってきたこと、そして「水俣病は終わっていない」というメッセージを肌で感じました。

その後、当時の写真や、関連する展示物などを見せてもらい、書物や話の中の人々であった水俣の人たちが、手を伸ばせば触れることができるような実感を伴って迫ってきました。
特に印象深く思い出されるのが、土間に置かれたたくさんの魚を食べようとしている家族の写真です。あの写真は、すでにチッソが「廃水は安全だ」と虚偽の宣言をした後の時代の写真であり、人々は騙されて、水銀入りの魚を食べさせられていたということを知り、憤りを感じました。確かに、そういった目で見るとあの家族のその後の運命が哀れに思われてなりません。しかし同時に、あの写真には、人々の海の幸への感謝、つまり、海は命の源である魚や食料を運んできてくれる宝庫なのだという土地の人々の自然への畏敬と感謝の念が表れている、とも感じました。海には罪がない、海を汚したのは人間であり、海はそんなあさましい人間の罪を洗い流し、いずれはその大きな懐で生命を育んでくれるのだ、という海への尽きない祈りのような思いが、人々に一抹の不安をもかき消させ、子供たちも自分たちもこの海の魚を食べて生きていくのだ、という生活者の力強い意志が、あの写真には表れているのではないか。Nさんの解説を聞きながら、そんなことを感じました。

Nさんのご著書も大変興味深く、そして、一文一文に込められたNさんの祈りのような思いを感じながら読ませていただきました。水俣病は全く終わっていない。今でも認定されていないながらも、多彩な症状に苦しんでいる人々がたくさんいるという事実。
いまだに医師や医療従事者、行政の人にも正しい認知がなく、診断や認定を受けることさえままならない事実に衝撃を受けました。医師の一人として、ただ「関わると面倒だ」という理由だけで診断書を書きたがらない同業者がいることを恥ずかしく思いました。

Nさんの著書を読んでから、私の診療に起きた変化がありました。慢性の手足のしびれや頭痛、耳鳴りのような症状を抱えている患者を診たときに、その出身地を気にするようになったことです。今までは、こうした人の背景に重金属中毒が潜んでいるかもしれない、もしかしたら水俣にゆかりのある方かもしれないとは考えたことがありませんでした。たしかに、高齢の方の一部に加齢現象としてそれらの症状が起きることがあります。しかし、Nさんの本を読んでからというもの、慢性の強い頭痛、耳鳴り、難聴、手足のしびれや脱力、こむらがえりなどの症状が組み合わさっているとき、水銀中毒である可能性が高まると考えるようになりました。そして、そのような症状を何十年も患いながら、家族にも相談できず、医師にもまともに相手をしてもらえず、保障を求めようとも認定さえしてもらえずという、身体的・心理的・社会的な苦悩を抱え続ける人生というのがどんなものなのかを想像するようになりました。

こちらに帰ってきてから、石牟礼道子さんの本や水俣病の関連本、そして、ユージン・スミスの「写真集 水俣」などを読み漁りました。特にスミス氏の写真集はさらにインパクトがありました。この写真集の文章から、当時のチッソの上級社員たちの多くが東京大学卒だということを知りました。彼ら「エリート」が、当時の水俣病被害者や漁業民たちを見下していたという格差の構図の中での差別意識からも、この事件が起きたのだろうと……。

時代的な背景もあったとは思いますが、Nさんがおっしゃっていたように、これは明らかに「社会的犯罪」です。今であれば、会社は「説明責任」を求められ、社会的制裁を受け、おそらく倒産に追い込まれる事態にも至るでしょう。水俣に来るまでは、チッソという会社はすでに無くなっているものと思い込んでいましたので、未だに存続していること、また水俣市の基幹産業であり続けていること自体に大きな驚きを覚えたことも事実です。

Nさんの著書で一番心に残ったのが「悶え加勢する」という言葉です。私たち医療者も、よく患者さんの痛みや苦しみに「寄り添う」ということを言います。ときに苦しんでいる患者さんのために、有効な治療法もなく、話を聴き共感しつつ、そばにいることしかできないことがあります。そうした癒し人としての、ただ側に「居る」という医療者のあり方(doingではなくbeing)も重視されてきていますが、「悶え加勢」という言葉ほど、その姿勢を表しているものはないと感じました。石牟礼道子さんの著書でも、水俣の人が、病人の家の前に行って、何をするでもなく、病人のことを思い悶えるような形で行ったり来たりする様子が「悶え加勢」と呼ばれることを知りました。その純粋な祈りのような行為を、とても美しく思います。その言葉を知って以来、医療者にとっても「悶え加勢」することの意義は大きいと感じています。

思いつくままに感想を書いてしまい、長文となり失礼しました。
石牟礼道子さんの「苦界浄土」を読み感激し、そして水俣に導かれるように行くこととなり、偶然にもNさんに出会えたことが有難いことだと感じています。突然の訪問にも関わらず、あたたかく私たちを受け入れてくれ、長時間にわたってお話を聞かせてくださったことが本当に嬉しく、いまだにあの体験を反芻し、思い返しています。
また、お会いできる日を楽しみにしております。

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