カーネマンの「フォーカシング・イリュージョン」から幸福の本質を考える——前野隆司氏『幸せのメカニズム』より
幸福学(ウェルビーイング)の研究者、前野隆司氏の本より引用。
経済学研究者のダニエル・カーネマンによると、「人は所得などの特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある」。それを「フォーカシング・イリュージョン(間違ったものに焦点をあてる)」と表現している。
まず、カーネマンらは、「感情的幸福」は年収七万五千ドルまでは収入に比例して増大するのに対し、七万五千ドルを超えると比例しなくなる、という研究結果を得ている。要するに、大金持ちになっても、人生満足度は上がっていくのに、楽しくはなっていかない。
年収七万五千ドルを超えると年収と感情的幸福が比例しない。それにもかかわらず人間はさらにお金が欲しいと思ってしまうのが「フォーカシング・イリュージョン」。人間は、なぜ、餌のないところに猛進するかのような愚かな特性を持っているのか。前野氏の答えは、「人間が元来愚かなのではなく、近代から現代にかけての人々の価値観が偏っていたのではないか」というものだ。
これに関して、前野氏は、心理学者ダニエル・ネトルの視点から「地位財(positional goods)」と「非地位財(non-positional goods)」を紹介する。地位財とは、所得や社会的地位、物的財など、周囲との比較により満足を得るものだ。一方、非地位財とは、健康、自主性、社会への帰属意識、良質な環境、自由、愛情など、他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものである。そして、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福は長続きする、という重要な特徴があるのだ。つまり、前野氏が言いたいのは、近代から現代にかけては地位財を追求することが幸福と考えられてきたが、これからの時代は地位財と非地位財のバランスをとるような幸福の追求が重要となるだろうということである。
このことは、古代ギリシャ時代に、すでにアリストテレスが指摘していたことでもある。それは「快楽(ヘドニア)」と「幸福(エウダイモニア)」の違いである。アリストテレスは、エウダイモニアとしての幸福は最高善(目的をもたない善)であり、快楽という一時的な幸せよりも優位にあるとし、エウダイモニアをこそ追求するべきだと説いた。この現代版が、地位財と非地位財としての幸福と考えることもできるだろう。地位財としてのお金や地位は私たちを一時的にしか幸せにしない。一方、非地位財としての健康、自主性、自由や愛情といったものは私たちをより本質的に幸福にするはずだ。
私たちは「フォーカシング・イリュージョン」してしまう自分たちの特性を自覚しつつ、地位財と非地位財のバランスをとりながら幸福を考えていくことが大事なのではないだろうか。
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