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「で、それからDJのほうが忙しくなってきて」の面白さ―『東京の生活史』を読む

岸政彦氏編集の『東京の生活史』を読んでいる。

東京で生活したことのある地方出身者150人に聞き書きをしている150人分の生活史である。もちろん分厚い。およそ1200ページ、上下二段組みである。

さまざまな人生がある。

東京での生活は、医学部入学のための浪人生活で過ぎていき、とにかく苦しかったという人、演劇にのめり込み旗揚げ公演をしたところで燃え尽きて故郷に戻ってきたという人、沖縄でDJをやっていて東京で介護士をやりながらDJとして活躍した人など、十人十色、いや百五十人百五十色であり、読んでいて飽きることはない。

沖縄で介護の専門学校を卒業し、DJをやっていたのだけれど、クラブのオーナーに「東京行ってちょっと修行してきたら」という何気ない一言で9年半上京していた方の話『レコード屋はほんとに夢の公民館で』がめっぽう面白かった(聞き手=山田哲也)。

上京する人のパターンは大きく二つで、「東京で一旗挙げるぞ」派と、「何気なく上京してみた」派に分かれる。このDJさんは、もちろん後者である。

ちなみに私(筆者)自身、佐賀県の出身で、18歳から26年間を東京で過ごし、現在は鳥取県に住んでいる。東京時代はすでに過去のものとなりつつあるが、私にとっての上京は「行くなら東京」みたいな感じで大学受験をしたので、やはり前者「東京で一旗挙げるぞ」派になるだろう。

DJさんに話を戻すと、沖縄で介護の資格をとり、どうせ働くなら東京で修行すればというクラブのオーナーの言葉で何気なく上京を決める。上京して一週間で白金の病院に就職が決まる。病院での介護の仕事もやりがいのあるものだったのだけれど、現実と理想の乖離に直面したりする。で、それと並行して夜な夜なクラブに出かけては、一人で踊って帰るという生活を続けていた。

そのうち、DJの先輩が近づいてきて「おまえ、いつも来てくれてんな。DJやってんだろう」と声がかかり、あれよあれよという間に、この人はDJとしての活躍の場を得ていく。その次の、この方の語りがめっぽう面白い。

で、それから、DJのほうが忙しくなってきて、五年ぐらいその病院にいたんですけど、DJのほうが忙しくなってきて、ここ病院を辞めて、次は訪問介護の、訪問介護の道に行ったんですよ。

「DJのほうが忙しくなってきて」を二回繰り返している。ここで私は大笑いをしてしまった。

病院勤務のほうが本業で、DJが趣味あるいは副業という位置づけで、それが転倒してしまった、という感じでもない。もっと軽みのある感じで、この人は自分のDJとしての活動をとらえている。

この方の語りの全体を聞くと、この方にとっての人生の主軸は、音楽とDJとレコードにあることが分かる。「本業」である病院勤務を、DJ活動のために訪問介護に切り替えられたとき、DJとしての活動の時間と幅が広がり、この方の東京生活はさらに楽しいものになっていく。

この方の語りから感じられるのは、東京という空間全体が、夢の空間であったということだ。沖縄に暮らしていて雑誌でしか見たことなかったクラブや有名DJがすぐ行けば会える。世界中のレコードが置いてある「夢の公民館」のようなレコード屋が近くにいくつもある。

なので、この方が「DJのほうが忙しくなってきて」を何の後ろめたさもなく、まるで少年のように目を輝かせながら語っているさまが、その同じ文章のリフレインから垣間見えるのである。

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