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「強い視差」からくる超越論的な反省——柄谷行人『トランスクリティーク:カントとマルクス』を読む

重要なのは、マルクスの批判がつねに「移動」とその結果としての「強い視差」から生まれていることだ。カントが見いだした「強い視差」は、カントの主観主義を批判し客観性を強調したヘーゲルにおいて消されてしまった。同様に、マルクスが見いだした「強い視差」は、エンゲルスやマルクス主義者によって消されてしまった。その結果、強固な体系を築いたカント、あるいはマルクスというイメージが確立されたのである。しかし、注意深く読めば、このようなイメージがまったく違うということがわかる。
カントやマルクスはたえず「移動」をくりかえしている。そして、他の言説体系への移動こそが、「強い視差」をもたらすのだ。亡命者マルクスにかんしてそれはいうまでもない。(中略)彼〔=カント〕もまた、独断的な合理論に対して経験論で立ち向かい、独断的な経験論に対して合理論的に立ち向かうことをくりかえしている。そのような移動においてカントの「批判」がある。「超越論的な批判」は何か安定した第三の立場ではない。それはトランスヴァーサル(横断的)な、あるいはトランスポジショナルな移動なしにありえない。そこで、私はカントやマルクスの、トランセンデンタル且つトランスポジショナルな批判を「トランスクリティーク」と呼ぶことにしたのである。

柄谷行人『トランスクリティーク——カントとマルクス』岩波文庫, 2010. p.17-18.

柄谷行人による2000年代の著書『トランスクリティーク——カントとマルクス』からの引用。本書で柄谷は、カントによってマルクスを読み,マルクスによってカントを読むという試みに挑戦する。そして、コミュニズムの倫理的根源としてカントの哲学があることを明らかにする。「トランスクリティーク」とは、絶えざる「移動」による視差の獲得とそこからなされる批評作業の実践のことである。そして、新しい運動としての「アソシーエション」についても語られている。

カントの哲学は超越論的(超越的とは区別される)と呼ばれている。超越論的態度とは、われわれが意識しないような、経験に先行する形式を明るみにだすことである。それは単なる反省的態度とは異なる。カント以前においては、反省が斥ける仮象や誤謬とは感覚にもとづくものであり、それを正すのが理性であると考えられていた。しかし、カントが問題にしたのは、理性自身の欲動によって生まれ、たんなる反省によってはとりのぞけないような仮象、すなわち、超越論的な仮象である。カント以前の反省は、他者のいない一人だけの内省である。カントの反省には、いわば「他者」が介在する

カントがもたらした(超越論的な)反省とは、いわば私の視点と他人の視点の「強い視差」においてのみもたらされるような反省である。カントが言っているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、というようなありふれたことではない。カントがいうのは、むしろその逆である。われわれの主観的な視点が光学的欺瞞であるなら、他人の視点あるいは客観的な視点もそうであり、カントがもたらした反省とは、そのような反省が光学的欺瞞でしかないようなことを暴露するような種類の反省である。つまり、「反省の批判としての反省」であり、これは私の視点と他人の視点の「強い視差」においてのみもたらされる

この「強い視差」を、鏡と写真というメタファーで柄谷は説明する。鏡による反省には、いかに「他人の視点」に立とうと、共犯性がある。われわれは都合のよいようにしか自分の顔を見ない。しかるに、写真には容赦ない「客観性」がある。むろん、写真も像(光学的欺瞞)にすぎない。大切なのは、鏡の像と写真の像の差異がもたらす「強い視差」である。写真が発明された当初、自分の顔を見た者は、テープレコーダーで初めて自分の声を聞いた者と同様、不快を禁じ得なかったといわれる。これは「強い視差」に対するフロイト的な抵抗である。

哲学は、内省=鏡によって始まりそこにとどまる。いかに「他人の視点」をいれてもそれは同じである。そもそも哲学はソクラテスの「対話」にはじまっている。対話そのものが鏡の中にある。人びとは、カントが主観的な自己吟味にとどまったことを批判し(ヘーゲルも然り)、またそこから抜け出る可能性を、多数主観を導入した『判断力批判』に求めようとする。しかし、柄谷は、哲学史における決定的な事件は、内省にとどまりながら、同時に内省のもつ共犯性を破砕しようとしたカントの『純粋理性批判』にあるという

そしてこの姿勢は、マルクスにも同じものを読み取ることができると柄谷はいう。柄谷は、マルクスがイギリスに移り『ドイツ・イデオロギー』を書いたときに、ある衝撃をともなう覚醒の体験をしたという。それは、彼にとってはじめてドイツの言説の外に出るという体験であり、自分の視点で見ることでも、他人の視点で見ることでもなく、それらの差異(視差)から露呈してくる「現実」に直面することであった。マルクスが『資本論』に結実するような新たな批判の視点を与えたものは、この「強い視差」である。それは、古典経済学の言説では事故や間違いとしてしか把握できなかったような出来事、つまり、経済恐慌が与えた「強い視差」であったと柄谷はいう。

そして、カントやマルクスが行なったことを、柄谷は「トランスクリティーク」として把握しなおす。それは、たえず「移動」をくりかえすことによって、他の言説体系への移動からくる「強い視差」を意識する実践である。カントは合理論と経験論の「間」にあって、超越論的な反省をおこなった。同様にマルクスは、資本主義経済や古典経済学に対して、超越論的(トランセンデンタル)な、移動的(トランスポジショナル)な視点からその批判をおこなったのである。この「超越論的な批判」は何か安定した第三の立場といったものではない、と柄谷はいう。それは、常に「移動」を伴うものであり、「反省の批判としての反省」であり、「強い視差」を意識するところからはじめて生まれるような批判的実践なのである。

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