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サンクチュアリ


人は誰しも心の中に「聖域」が必要だ。

昨日観た、坂上香監督の映画「ライファーズ」で繰り返されていたキーワードが「聖域(サンクチュアリ)」だった。この映画は終身刑など重罪を背負う受刑者たちの再生の物語だ。

本当にそう思う。

心豊かに生きるためには、自分の心の中に「余白」を持つことが大事だとよく言われる。それは、逆に、人々が余白のない毎日を生きていることを表しているのだろう。

「余白」というのは、余裕、あそび(「遊戯」という意味だけでなく、ハンドルの「あそび」などの意味でも)、あいまいさ、無意味なこと、などを表している。すなわち、大事なのは「寛容さ」なのだ。私たちは、他人や自分の中の「余白(=あいまいさ)」に対して、寛容になれているだろうか。毎日を余白なく、何かをすることで埋め尽くしてはいないだろうか。意味のない時間を過ごすことに対して、不寛容になってはいないだろうか。

そして、さらに自分の心の中に「スペース」を持つこと。余白が大きくなったものが、心の中のスペース。空間。心の中のリビングルーム。私たちは、自分の心の中のリビングルームで、毎日くつろいでいるだろうか。誰にも邪魔されない、犯されない領域を持ち、そこでは、自分が自分を癒すことができる、絶対的な幸せな空間なのである。そんなスペースが作れれば、そこは「聖域」となる。

すべての人にこの「聖域」は必要だ。

映画「ライファーズ」の中で、聖域と聞いて、何をイメージするかを受刑者たちが語るところがある。

「誕生日」「守られているということ」「安全」「朝のコーヒー」

それを語るときの受刑者たちの表情は、子供のように喜びに満ちていた。

私たちは地獄のような日々を生きながらも、心の中の聖域で絶対的な幸せや喜びを味わうことができるのではないか。

映画を観ながらそんなことを考えていた。


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