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レヴィ=ストロースの『みる きく よむ』を読む

千年の単位でみれば、人間の情熱のさまざなちがいは融けてひとつになる。人間たちが感じた愛や憎しみ、彼らの約束、彼らの闘争、彼らの希望、時間はそれらに何もつけ加えず、それらから何も差し引くことはない。昔と今、このふたつはつねに同じなのだ。どこでもいい、人間の歴史から任意の千年、あるいは二千年を取り去っても、人間の本性に関する私たちの知識は減りもせず増えもしない。唯一失われるものがあるとすれば、それはこれらの千年、二千年が生み出した芸術作品だけである。

クロード・レヴィ=ストロース『みる きく よむ』竹内信夫訳, みすず書房, 2005年. p.203

人類学者としてあまりにも有名なレヴィ=ストロースの1993年の著書『みる きく よむ(Regarder écouter lire)』からの引用。85歳時の執筆である。

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908 - 2009)は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。(Wikipediaより)

本書は、絵画を見るということ、音楽を聴くということ、文学を読むということに関する、人類学者としてよりも一人のフィロゾーフ(愛智者)としてのレヴィ・ストロースの思想の開陳である。『野生の思考』『神話論理』といった人類学者としての大著とは趣が異なり、本書は訳者の竹内信夫氏が書いているように、「人間レヴィ=ストロースの風采」が前景に出ている「思考するレヴィ・ストロースの自画像」とも言える作品である。

しかしながら、本書で展開される思考には、『野生の思考』以来、レヴィ=ストロースが一貫して探求してきた「感性の論理(logique des qualités sensibles, logic of sensitive qualities)」も踏まえられている。「感性の論理」とは、それこそが未開民族の神話にも現代人の生活の基底にもはたらき続けている「野生の思考(pensée sauvage, wild thought)」の論理である。

例えば、絵画についての考察において、葛飾北斎やニコラ・プッサン(17世紀のフランスのバロック画家)の絵を例にして、レヴィ・ストロースはそこに「二重分節(double articulation)」という構造を読み取る。簡単に言うと、これはコラージュ的な手法のことで、あらかじめ描こうとする人物や景色の断片を一つ一つ個別に描き、その後でしかるべく配置をして一つの作品に仕上げるという方法である。その結果、北斎やプッサンの絵画では、全体としても統一的な絵となっているが、その部分をみても一つの完成された絵となっている。二重分節という意味においては、第一次文節においてすでに小さな(完成された)作品があり、それらが適当に組み合わされ配列された第二次文節において、全体が高次の作品となる。

二重分節あるいはコラージュ的な配置は、文学で言えばマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にもみられるとレヴィ=ストロースは述べる。そこではさまざまな時系列の印象が同時に語られ配置されており、通常の小説にみられるような時間の流れとは異なっている。「物語の織り目に無意識の記憶が介入することで、出来事の継起と時間の持続のなかで、その順序を完全に変えてしまう創作の手法が補償され、均衡を維持」(上掲書, p.3)しているという。

しかし、私たちの無意識における時間の構造はむしろそのようなものであり、コラージュ的/二重分節的に配置されているのではないか。実際に、プルーストは『失われた時を求めて』を書くにあたり、異なった状況、異なった時期に書かれた草稿群を、後から満足できる順序に整理し、再構成しているという。つまり「作品を書くときに彼がおこなっているのは接合であって、たくさんの断章を互いにつなぎ合わせる」ということであった。

引用した冒頭の文章では、千年単位では「人間の本性」は変わることがないとレヴィ=ストロースは述べる。ここでいう人間の本性とは「感性の論理」と言い換えることもできるだろう。未開社会の婚姻規則の体系や神話の構造にひそむ、この普遍的な論理は、たかだか数百年の人間の技術や「文明」の進歩では変わることはない。本書は、それは文学や芸術という人間の本性の発露からもうかがえることであるという、レヴィ=ストロースの考えが自由闊達に述べられた良書であると、私は思う。


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