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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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#哲学

「しょせんすべては小さなこと」:哲学の源泉としてのニヒリズム——永井均氏『哲学の密かな闘い』より

永井均(ながい ひとし、1951 - )氏は、日本の哲学者・倫理学者。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学・倫理学。千葉大学教授などを経て、現在、日本大学文理学部哲学科教授。永井氏に関する以前の記事「永井均氏の『転校生とブラック・ジャック』から考える独在論」も参照のこと。 永井氏が哲学をする根底にはニヒリズムがあるという。彼の定義するニヒリズムとは「それを信じて生きるべき究極の価値のようなものは存在しないという考え方や生き方」のことである。そうしたニヒリ

すべてのことについて少しずつ知ること——パスカル『パンセ』を読む

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623 - 1662)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家である。神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才で、その才能は多分野に及んだが、39歳にして早逝した。その遺稿は死後『パンセ』として出版されることになった。「パスカルの定理」「パスカルの原理」など幾何学・物理学でも名を残すが、哲学者としても著書「パンセ」は、没後300年以上経つ現在まで読み継が

カントはなぜかくも難しいのか——中島義道氏の『カントの読み方』より

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)は、プロイセン王国の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。 カントは難解として知られる。それはカントの原書を読んだ人なら誰もが知っている。まさに「ちんぷんかんぷん」なのである。本書『カントの読み方』では、カント研究者の中島義道氏が、まずカント

幸せという感情と時間の関係——ドリアン助川さんの『動物哲学物語』を読む

ドリアン助川(ドリアン すけがわ、1962 - )さんは、日本の作家、詩人、歌手。明治学院大学国際学部教授。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。早稲田大学時代には劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、1990年、東欧革命取材を契機に「叫ぶ詩人の会」を結成し、同会長となる。芸名であるドリアン助川として「言葉の復権」をテーマに、世の中の森羅万象を激しいロックに乗せて叫ぶ、独自のパフォーマンスで話題になる。 詩人であり、作家であり、哲学者でもあるドリアン助川さん

鶴見俊輔がみた哲学言語の未来——『不定形の思想』を読む

鶴見俊輔の『不定形の思想』は文藝春秋社の単行本(1968年)を文庫化したもので、引用したものは「哲学の言語」という論考より。初出は1949年に雑誌「思想」に収録されているものである。 鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ, 1922 - 2015)は日本の哲学者。ハーバード大学で哲学を学んだ後、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。アメリカのプラグマティズム哲学を日本に紹介した。雑誌「思想の科学」発行の中核を担い、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)など社会運動にも携わった。評論も多く

哲学は答えのない問いを考えるだけじゃない——苫野一徳さんの「共通了解志向型対話」とは

読んでいて痛快な本である。科学主義や自然主義が優勢なこの世の中、ソクラテスやニーチェを云々する哲学は古めかしく、分かりにくく、さらには「役に立たない」ものだと思われている。苫野さんはそれに真っ向から反対する。哲学は役に立つものだ!と。 苫野一徳(とまの いっとく、1980 - )さんは、日本の哲学者、教育学者。熊本大学大学院教育学研究科・教育学部准教授。博士(教育学)。著書に『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』(NHKブック

対話で得られる自由と責任——梶谷真司さんの『考えるとはどういうことか』を読む

梶谷真司さんは1966年生まれの哲学者。京都大学博士(人間・環境学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『シュミッツ現象学の根本問題』(京都大学学術出版会)などがある。「哲学対話」を通して、子どもたちや地域の人びとに考えることを通した哲学を広めている。 本書は、世界的に実践されている「哲学対話」の考え方や手法をわかりやすく解説した一冊である。それとともに、「哲学する」とは本質的どういうことなのか、私たちは考えることを通して何を手に入れることができるのかといった、

「学問」と「哲学」の違いは何か——京都学派の哲学者たちの「戦争協力」から考える

本書はNHKの番組をもとにした書籍で、日中戦争から太平洋戦争に向かう時代の思想家たちを取り上げている。第三章は西田幾多郎と京都学派について、その「戦時協力」について書かれている。西田自身は戦時中の日本の帝国主義的な姿勢を真っ向から批判したりしている。しかしながら、西田の弟子たち、三木清や田辺元といった京都学派の哲学者たちは、海軍高官たちと1942年(昭和17年)から翌年にかけて、実に18回もの秘密会合を開いていた。 哲学者たちは海軍と何を話し合っていたのか。開戦前に京都学派

共に震える——哲学としての仏教から考える「共苦」

著者の竹村牧男(1948 - )氏は、日本の仏教学者。専攻は唯識、禅、大乗仏教思想。筑波大学名誉教授、東洋大学名誉教授。本書『入門 哲学としての仏教』では、宗教性を抜きにした哲学としての仏教を、存在について、言語について、心について、自然について、絶対者について、関係について、時間について、という内容で分かりやすく解説している。 非常に古いものであるというイメージと異なり、仏教の根本思想は、西洋哲学でいえばポストモダン哲学や現代哲学と通じるところがあり、大変斬新な哲学である

子どもたちに哲学を教えるべき理由——コロナ時代に必要な反唯物主義

哲学者マルクス・ガブリエルへのインタビュー書籍からの引用。マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )は、ドイツの哲学者。哲学・古典文献学・近代ドイツ文学をハーゲン大学、ボン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。2009年7月に史上最年少の29歳でボン大学教授に着任し、認識論・近現代哲学講座を担当すると同時に、同大学国際哲学センター長も務めている。2013年の著書『なぜ世界は存在しないのか(Why the World Does Not Exist)』は哲

ポストコロナの「哲学的革命」——スラヴォイ・ジジェクの『パンデミック』を読む

スラヴォイ・ジジェク(1949年 - )は、スロベニアの哲学者。リュブリャナ大学で哲学を学んだ後、パリ第8大学のジャック=アラン・ミレール(ジャック・ラカンの娘婿にして正統後継者)のもとで精神分析を学び、博士号取得。現在はリュブリャナ大学社会学研究所教授。難解で知られるラカン派精神分析学を映画や社会問題に適用してみせ、一躍現代思想界の寵児となった。 ジジェクは急進的な知識人であり、歯に衣着せない物言いで有名である。彼の哲学や思考は、政治的には急進左派の立場から形成されており

会話の哲学——コミュニケーションとマニピュレーションという視点

三木那由他(みき なゆた)氏は、言語やコミュニケーションを専門とする日本の哲学者、トランスジェンダー。1985年生まれの京都大学博士(文学)。ポール・グライスの「意図基盤意味論」の問題点を検証し、その代替として「共同性基盤意味論」を提唱した。著書に『話し手の意味の心理性と公共性』や『グライス 理性の哲学』、『言葉の展望台』などがある。(Wikipediaより) 今回とりあげた『会話を哲学する』では、会話には基本的にコミュニケーションとマニピュレーションの要素があるということ

沈黙のもつ「聖なる無用性」——マックス・ピカートの『沈黙の世界』を読む

マックス・ピカート(Max Picard, 1888 - 1965)は、スイスの医師・作家・哲学者。ドイツのユダヤ人家庭に生まれた。ピカートは、ドイツのフライブルク大学、ベルリン大学、ミュンヘン大学で医学を学び、ミュンヘンで医師資格を取得した。当時の医学界の実証主義的、ダーウィン主義的な方向性に不満だった彼は、1915年頃から医学界から距離を置くようになり、哲学に傾倒。1919年にはスイスに移住し、哲学・思想面での著述活動を始めた。1952年にヨハン・ペーター・ヘーベル賞を受

極端な事象から普遍性に至る——ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』を読む

ヴァルター・ベンヤミン(Walter B. S. Benjamin、1892 - 1940)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。ユダヤ系ドイツ人。第二次世界大戦中、ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明。ハンナ・アーレントは、彼を「homme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)」と呼んだ。エッセイのかたちを採った自由闊達なエスプリの豊かさと文化史、精神史に通暁した思