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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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#レヴィナス

存在の原型=裸形としての〈顔〉——鷲田清一氏『〈ひと〉の現象学』より

鷲田清一(わしだ きよかず、1949 - )氏は、日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。評論家、大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。京都大学文学部哲学科を卒業し、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。フッサールや、メルロ=ポンティといった現象学、身体論の視点から、他者、所有、規範、制度などの諸問題を論じる。 引用したのは『〈ひと〉の現象学』に収められている「顔―存在の先触れ」という論考。〈顔〉をめぐる現象学的考察が、哲学者エマニュエル・レヴィナスの思想や画家のジ

自己の現在時に回収されない「隔時性」としての他者——村上靖彦氏『傷の哲学、レヴィナス』を読む

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906 - 1995)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている。エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーの現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。 本書『傷の哲学、レヴィナス』(2023年)は、現象学研究者の村上靖彦氏がレヴィナスの哲学を解説した書籍であ

死者の不在そのものが存在に紛れ込む——レヴィナスの「イリヤ(ある)」の恐怖

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906 - 1995)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている。エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーの現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。 レヴィナスは「ある(il y a)」ことの恐怖というものを語る。彼の「ある」の恐怖とは何を物語っているのだ

感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis, 1933-)はアメリカの哲学者。リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博士号を取得。ピッツバークのドゥケーン大学で教鞭をとった後、現在はペンシルヴァニア州立大学の哲学教授。世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている。メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』、レヴィナス『全体性と無限』、クロソフスキー『わが隣人

「存在」がもたらす吐き気、ねばねばしたもの——サルトルの「偶然性への恐怖」とレヴィナスの「イリヤ」

ジャン=ポール・サルトルとエマニュエル・レヴィナスには一見して共通点はない。実存主義哲学と現象学は、同じ親(フッサール現象学)をもつ兄弟のような存在とはいえ、実存主義哲学者と現象学哲学者は完全に重なるものではない。レヴィナスはフッサールとハイデガーに直接学び、その後独自の哲学(「イリヤ」と「他者」の哲学)をうちたてた。一方、サルトルは一度だけハイデガーに会ったことはあるものの、フッサールやハイデガーに直接教わった経験はない。サルトルは彼らの著作を読むことでインスパイアされ、独

客観性は世界を見つめる眼差しを覆い隠し忘却させる——レヴィナス『倫理と無限』を読む

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Levinas, 1906 - 1995)は、リトアニア生まれのユダヤ人哲学者。フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化。第二次世界大戦に志願するがドイツの捕虜収容所に囚われて4年を過ごし、帰還後、ユダヤ人を襲った災厄を知る。ソルボンヌ大学等で教鞭をとる。『超越・外傷・神曲』『時間と他者』『実存の発見』『全体性と無限』など著書多数。 本書『倫理と無限——フィリップ・ネモとの対話』は、1981年にラジオ局「フランス・キュ

「物語の力」の欠落と〈顔〉の不在——鈴木智之氏の『顔の剥奪』を読む

鈴木智之氏(1962 -)は、法政大学社会学部教授。専攻は理論社会学、文化社会学。著書に『村上春樹と物語の条件』(晶文社)、共編著に『失われざる十年の記憶』(青弓社)、訳書に『傷ついた物語の語り手』(ゆみる出版)などがある。 本書『顔の剥奪:文学から〈他者のあやうさ〉を読む』は、哲学者エマニュエル・レヴィナスが語る〈顔〉の概念を軸に、人と人がともにあるということが基礎づけられる〈顔〉の現れ、「共在の器官」としての〈顔〉が不在になるとき、剥奪されるときの諸相を、さまざまな文学

哲学者と「死」——ハイデガーとレヴィナスの違い

著者のサイモン・クリッチリー氏は、1960年生まれのイギリスの哲学者である。専門は現象学、大陸哲学、フランス現代思想。本書『哲学者190人の死に方(The Book of Dead Philosphers)』は古代から現代までの190人の哲学者について、死をどう捉えていてか、どのように最期を迎えたかについて、それぞれの哲学者の思想とともに紹介しているものである。しかし、ただ単に哲学者の死に方を面白おかしく紹介した本ではない。一流の哲学の考え方についても学べる骨のある一冊となっ

聖性と戯画との境界上にある〈顔〉——辺見庸『月』とレヴィナス

辺見庸氏の小説『月』からの引用である。辺見氏は、小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信社記者。1991年に『自動起床装置』で第105回芥川賞受賞。『もの食う人びと』(1994年)などのルポルタージュでも異彩を放つ。他の代表作に『赤い橋の下のぬるい水』(1992年)、『水の透視画法』(2011年)などがある。 『月』は、2016年の相模原障害者施設殺傷事件を題材にした小説である。しかし、普通の小説を想定して読み始めると度肝を抜かれることになる。一人称で語られるのは寝たきりで

沈黙のもつ「聖なる無用性」——マックス・ピカートの『沈黙の世界』を読む

マックス・ピカート(Max Picard, 1888 - 1965)は、スイスの医師・作家・哲学者。ドイツのユダヤ人家庭に生まれた。ピカートは、ドイツのフライブルク大学、ベルリン大学、ミュンヘン大学で医学を学び、ミュンヘンで医師資格を取得した。当時の医学界の実証主義的、ダーウィン主義的な方向性に不満だった彼は、1915年頃から医学界から距離を置くようになり、哲学に傾倒。1919年にはスイスに移住し、哲学・思想面での著述活動を始めた。1952年にヨハン・ペーター・ヘーベル賞を受

漱石とレヴィナスの「存在することの不安」——小林敏明『柄谷行人論』より

柄谷行人(からたに こうじん、1941 -)という人がいる。戦後思想界の巨人の一人で、哲学者、文学者、文芸批評家である。彼の関心は、漱石研究など「日本文学」から始まったが、そこから外国文学へ、そしてさらには哲学、数学、経済学、歴史学という領域へと広がっていった。その思想の幅の広がりは比類なきもので、その代表作を見ても『〈意識〉と〈自然〉 漱石試論』『マルクスその可能性の中心』『坂口安吾と中上健次』『世界史の構造』『哲学の起源』『ニュー・アソシエーショニスト宣言』など多彩なもの