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エネルギーの日本史

こんにちは。sonrakuの半田です。

本日のnoteでは、いつもの木質バイオマスより少し俯瞰して視野を広げ、日本のエネルギーの歴史(近代)について振り返ります。さらに現在はどのような状況になっているかをみていきたいと思います。

電気や熱などのエネルギーは、今や人間の暮らしには必要不可欠な存在になっています。はじまりは1760年代にイギリスで起こった産業革命で、これまで太陽エネルギーに頼っていた産業を、地球の埋蔵エネルギーである石炭という動力に変えて飛躍的な生産力を生んだということで、産業革命は別名エネルギー革命とも呼ばれています。また、19世紀になると回転により電気を生み出す発電装置が発明され、人類はついに電気というエネルギーを手にしたのです。その後、世界は資本主義競争の中でより効率的なエネルギーを求めて奔走し、今もなおその渦中にあります。

日本はというと、1887年に国内ではじめての火力発電所が東京の日本橋に完成しました。この火力発電所の燃料には石炭が使われていました。丁髷(ちょんまげ)に日本刀をこしらえていた江戸時代が終わってわずか20年足らずで発電所を建設したのですから、当時の日本人の吸収力と再現力には驚きです。

それから日本は次々に火力発電所が建設していくわけですが、要するにエネルギー(海外由来の化石燃料)の依存度を増やしていったことになります。


太平洋戦争と石油

第一次世界大戦に勝利した日本軍は、さらに武力をもって満州を制圧し満州国を建国しました。しかし、国際連盟はこれを認めず、そのことがきっかけで日本は国際連盟を脱退します。同じく勢力拡大を図っていたドイツと手を組み、日本軍はフランス、オランダの植民地であった東南アジア諸国へと南進していきます。日本は産油国ではないため油田は喉から手が出るほどほしい状況でした。東南アジアには豊富な油田があり、勢いのあるドイツがフランスとオランダを圧倒していたことで、この機をチャンスと見たわけです。

しかしながら、当然国際連盟も黙ってはおらず、アメリカは日本への石油の輸出を全面的に禁止するという措置に出ました。石油の多くをアメリカからの輸入に頼っていた日本にとってそれは大問題であり、国内産業は大打撃を食らうとともに、海軍の進軍も2年以内に停止することになります。それを阻止するために勃発したのが太平洋戦争です。したがって、太平洋戦争は別名石油戦争ともいます。結果はご承知の通りですが、この戦争はエネルギー依存がもたらした教訓として日本国民の記憶に深く刻まれています。

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オイルショックと出光興産

太平洋戦争に破れた日本は、アメリカの占領政策にしかれながらも独立国家を保ち、日本人の気質である凄まじい吸収力と再現力を発揮して戦後復興を成し遂げます。日本は高度経済成長の中でますます国力を高め先進国の仲間入りを果たしていきますが、そんな矢先に起こったのがオイルショックです。オイルショックは1973年の第一次と1979年の第二次に分けられますが、いずれもアラブ諸国の戦争(第4次中東戦争、イラン・イラク戦争)により石油価格が高騰したことが原因で起こっています。当然ながら、経済成長に共だって石油を大量消費していた日本の経済は大打撃を受けます。特に電力を一番必要とするアルミ産業は瞬間的に壊滅する事態となりました。

そこで立ち上がったのが出光興産です。石油に関して日本はそのほとんどを外資系のメジャーに依存していて、その背後には厳然としてアメリカがいたわけですが、民間企業である出光興産は、石油国有化を宣言したイランにマンモスタンカー(日章丸)を派遣して独自に輸入するという快挙をやってのけました。ちなみに、出光興産の創業者は出光佐三といって、百田尚樹の小説「海賊と呼ばれた男」の主人公・國岡徹造のモデルになった人物です。物語の中でもクライマックスのシーンでこのイランへの日章丸渡航が描かれていています。2016年に岡田准一主演で映画化されていて、小説とならんで大ヒットしました。

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参考:https://www.meidaisha.co.jp/president/?p=7455

話はそれましたが、オイルショックもまた太平洋戦争とならんで日本のエネルギー依存がもたらした未曾有の事態として国民の記憶に深く刻まれました。この事件をきっかけに、日本政府は「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律(代エネ法)」を制定し、原子力発電に力を入れていくことになります。


東日本大震災と原子力発電

2011年3月11日、東日本一帯を襲った大地震は記憶に新しいです。地震はもちろんですが、それよりも大きな被害をもたらしたのは津波でした。太平洋に面する地域は津波によって壊滅的な被害にあい、死者数15,000人を越える記録的大震災となりました。2020年の今もなお復興の最中であります。

エネルギーの観点で問題視されたのは福島第一原発事故です。地震等の影響により外部電源を喪失し、非常用発電機が起動しましたが津波の浸水により非常用電源が使用できない状態になり、最終的に原子炉と使用済燃料プールの「冷やす」機能を失ったことが原因とされています。この事故をきっかけに原子力発電への懸念は大きなものになり、日本はいよいよ自然エネルギーの導入に本腰を入れていくことになります、が。


現在の日本のエネルギー事情

これまで、太平洋戦争、オイルショック、東日本大震災の3つの大事件を取り上げてエネルギーの日本史を振り返ってきました。このように日本は常にエネルギーの影響を受けながら存続してきたわけですが、直近の東日本大震災の経験を経て、現在はどのような事情になっているのでしょうか。まず、直近5年間の全発電量における自然エネルギーの割合を見てみます。

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日本の全発電量に占める自然エネルギーの割合の推移(出所:電力調査統計などよりISEP作成)

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日本全体の電源構成(2018年) 出所:電力調査統計などよりISEP作成

2018年までのデータを見る限り、まだまだ主力は石炭や天然ガス由来の火力発電といえます。自然エネルギーによる発電の割合は17.4%であり、2014年の12%からみると徐々にではありますが導入が進んでいることが伺えます。中でも太陽光発電は全体でみても5年間で5%近くの普及を見せており、投資フェーズを終えていよいよ石炭火力にコスト勝負を挑める領域に入ってきた印象を持っています。

次に世界と比べてどうか、を見てみます。

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発電電力量に占める再生可能エネルギー比率の比較
出典:【日本以外】2015年値データ、IEA Energy Balance of OECD Countries (2017 edition)、【日本】総合エネルギー統計2016年度確報値)

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主要国の一次エネルギー自給率比較(2015年)出典:IEA

日本は2016年時点で14.5%(調査機関が異なるため表とグラフの誤差あり)で、ヨーロッパ諸国から大きく遅れをとっていることがわかります。また、一次エネルギー自給率比率で見ると世界各国で34位(2015年時点)、自給率7.4%であることから、エネルギー依存の状態が脱却できていないことは一目でわかると思います。東日本大震災を経て、自然エネルギーの普及率や関心は高まってはいますが、前後で大きく変わったかというとイマイチといえます。

では、日本はこれからどのようなエネルギー戦略をとっていけばいいのでしょうか。申し訳ございません。正直なところこれは非常に複雑な問題であり端的に言い表すことは専門家でも難しいと思います。自然エネルギーの導入を促進して化石燃料由来の発電と代替えしていくのはもちろんですが、すぐにどうこうできることでもありません。

一つ言えることは、エネルギー問題に関心を持つ人が増えることが非常に重要だということです。今回のnoteでは主にエネルギー依存(自給率)に着目して日本の歴史を振り返りましたが、2019年はグレタ・トゥーンベリさんの訴えにより地球温暖化の原因とされているCO2排出の観点からエネルギー問題に注目が集まる年になり、追い風であるのは確かです。今回のnoteが、みなさんが普段何気なく消費しているエネルギーに少し意識を向けてみるきっかけになれば嬉しい限りでございます。

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ではまた!


文責:半田


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