男は何故、後ろの方の席に座ることをカッコいいと思ってしまうのか。
会議や集会等の正面に人が立って話しをする場で、会場に椅子が何列か並べられている場合、窓際の一番後ろの席が最もカッコいいとされている。これは男の中の常識である。会場の最後列は基本的にカッコいいとされているが、最後列の席が埋まることは少ない。それは何故か。最後列に座るということは、自信の誇示を意味するからである。最後列に座るにふさわしい人間であるという自信、それが無ければ座ることは難しい。故に憧れはあるものの最後列に座る自信の無い人間は、後ろから2列目か3列目の席に座ることが多い。
最後列の席への憧れ、それは学生時代にこびりついた呪いだ。窓際の一番後ろの席は、教室という空間で最も効力が大きくなる。窓際で気だるげに授業を受け、同級生とコソコソと話し、昼休みグラウンドではしゃぐ同級生を窓から見下ろし、「何やってんだか」と呟いて、本を顔の上にのせて眠る。そんな青春の覇者に憧れた男たちは、何歳になっても最後列の席をカッコいいと思っている。大人になった今では、何のメリットも無いのに。
社会人になって最後列の席に座るということは、積極性の無さや、参加意識の薄さを意味する。普通にデメリットである。会議や集会に参加する側からしても、声が聞き取りづらいし、発言もしづらいので、メリットが無い。そんなことは、ほとんどの人間がわかっているので最後列に座る人間は少ない。しかし、そのほとんどの人間が後ろの席カッコいいなぁと思いながら、前の方の席に座っている。この感覚がわからない人も多くいると思うので、B’zに例えて説明しよう。
世の男のほとんどがB’zのことをカッコいいと思っているが、そのほとんどがB’zの曲を歌わない。厳密に言えば歌えないのだ。人前でB’zの曲を歌うということは、最後列に座ることと同じく、自信の誇示を意味する。歌唱力への自信、B’z愛への自信、自信の形は違えど自信が無ければ人前でB’zの曲を歌うことは出来ない。また、B’zの曲を歌うということは、B’zをするということ。皆さんもテレビなどでB’z本人も含め、B’zの曲を歌っている人を見た時に、「B’zしてるなぁ」という感想を少なからず持ったことがあると思う。この感覚が、窓際の一番後ろの席がカッコいいと思う感覚によく似ている。つまり、窓際の一番後ろの席に気だるそうに座っている人間を見て、「青春の覇者してるなぁ」と感じると同時に、自分には青春の覇者は出来ないなぁと感じてしまう。ほとんどの人間がB’zを出来ないのと同じ様に。
これは、自信の無さから来る憧れへの忌避であると、私は結論づけた。憧れの存在に成れない自分を正当化するために憧れを避ける。憧れの抱えるデメリットを恐れては、さらに遠ざける。窓際の一番後ろの席に座らないということは、そういうことなのだ。
ただ、社会人になってから青春の覇者をすることのデメリットは、誰もが恐れて当然のデメリットであることを忘れてはいけない。そんなデメリットを物ともせず、憧れをその手に掴む人間もまた、カッコいい。
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