ダンスのジャンルについて考える。それで、結局「ネオクラシック」ってなんなの??
こんにちはソノです♡
見たい作品も踊りたい作品もたくさんありますが、、、今回は絶妙に手を出しにくい(?)「ネオクラシック」の作品についてお話したいと思います。
クラシック・バレエならよく知られていると思います。
『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』等を代表とするジャンルです。これもまた詳しく言うとなるとジャンル分けが難しいように思いますが、
大まかに言うと
①2幕以上の作品構成
②マイムとディベルティスマン(ダンスパート)が区別されていて、マイムで話の筋を進めてディベルティスマンで踊りを見せる形式を持っている
③グラン・パドドゥがある
といった特徴を持つものと言えるでしょうか。
これらは『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』の振り付け家、マリウス・プティパがつくった形式です。
これに倣ったものは概ねクラシックに分類できると思います。
一方で、これらの特徴を持たない、それどころか反しているとも言える作品なのに"バレエ"である作品があります。
それが「ネオクラシック・バレエ 」です。
しかし、この「ネオクラシック」
私はなんだか曲者なジャンルだなあ…と思っていたりします。
現在、どんな作品が「ネオクラシック」バレエ とされているかとりあえず見てみます。
『The Oxford Encyclopedia of Theater & Performance』の"Balanchine"の項にneo-classicの記述があります。
(日本語訳版ではバランシンは「新古典主義」と訳されています)
バランシンといえば、『シンフォニー・イン・C』や『アゴン』のようないわゆる後に「抽象バレエ」と呼ばれるような作品を生み出した振り付け家です。
これらの作品は、話の筋ががなく衣装もシンプル、もちろん役やマイムもない、アンシェヌマンをそのまま作品にしたような特徴を持ちます。
これはたしかに明らかにプティパ形式とは異なります。
バランシンに加えて、新聞などの舞台評などで「ネオクラシック御三家」として挙げられているのは
イリ・キリアン
マッツ・エック
ウィリアム・フォーサイス
の3人でしょうか。
フォーサイスの『アーティファクト』は音楽テープの逆回転や音楽ではなくスピーチを流す、また途中で幕を上げたり下げたりする内容を取り上げて「ネオクラシック」を論じられてきました。
しかし意外なことに、フォーサイス自身を「ネオクラシック」の振り付け家として論じられることはあっても、『アーティファクト』以外にフォーサイスの“作品”を「ネオクラシック」として論じる例はほとんどみません。個々の作品というより、フォーサイスの試み全体がピックアップされて「ネオクラシック」が成り立っています。
【画像】オーストリア・バレエ団『アーティファクト組曲』
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/australia/detail022042.html
イリ・キリアンに関しても同様かなと思います。イリ・キリアン作品は、作品それぞれが持つ特徴や様式は作品ごとに大きく変化する。『ベラ・フィギュラ』のようにプロットのない作品から、『輝夜姫』のようにストーリーに沿った作品、無音での作品、モーツァルトやストラヴィンスキーを使用した作品まであらゆる様式の作品がありますよね。
作品は色んな形式を持つにもかかわらずイリ・キリアン自身をもって「ネオクラシック」は論じられます。
【画像】パリ・オペラ座バレエ団『ベラフィギュラ』
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/paris/detail000003.html
マッツ・エック作品は『ジゼル』『ジュリエットとロミオ』など、古典の新解釈とされる作品が特徴的です。「ネオクラシック」の振付家とされてきたローラン・プティもまたマッツ・エックと同様の方針で『コッペリア』や『カルメン』など、クラシックの新解釈ものを特徴にしています。
【画像】新国立劇場バレエ団『コッペリア』
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/tokyo/detail021768.html
プティやマッツ・エックの古典新解釈系の作品たちは、プロットも衣装も物語に準ずる役柄も与えられているものが多い。
マッツ・エックやプティの作品はバランシンの『アゴン』や『シンフォニー・イン・C』等「抽象バレエ」と言われる作品とはむしろ反する形式と言えるでしょう。
1幕構成ではないし、ストーリも役もある…。
バランシンの作品の様式を取り上げて「ネオクラシック」と論じる傾向がある一方で、
プティやマッツ・エック作品もまた「ネオクラシック」と称されます。
こうなってくると、イリ・キリアン作品がそれぞれ異なる形式を持っていても全て「ネオクラシック」となることも納得です。
「ネオクラシック」はクラシックと相対的に"何らかの新しさ"を感じた時につけられるレッテルなのでしょう。
絶対的な定義のあるジャンルではないのです。
あくまでも見た人が、もっと言うと論じる側が、便利に使えるレッテルなのです。
"何らかの新しさ"について論じることは否定しません。
ただ、このジャンルについて絶対性を信じ込んだまま作品を論じることは、21世紀ではまだ早いのかな、と思ったりします。