見出し画像

ポーズの功罪〜バレエの拭えない商業的性質〜

みなさんこんにちは。
今日はダンスの中にあるポーズの功罪について考えたことを。

ダンスにはポーズがあります。ジャズやバレエはこのポーズをきちんととれるかがとても大事。ひいては近年流行りのアイドルダンスでも、印象的なポーズのあるのものが流行ります。両手をピースにする『アイドル』のポーズは立派な見せ場でしたよね。

ポーズの役割って何なのでしょうか。
でもよく考えたら、「ダンスにはポーズがある」ことは当たり前ではないように思われます。

かつて舞踏家の土方巽は、自身が極めた舞踏というダンスについて「命懸けで突っ立った死体」と表現しました。大野一雄の車椅子でのパフォーマンスも記憶に新しいところです。そう、舞踏では動いて(振り付け)→ポーズ→動いて(振り付け)→ポーズといった流れは決して当たり前の構造ではないのです。

大野慶人『秘する肉体ー大野一雄の世界』


ジャワ舞踊
でもポーズらしいポーズはありません。水が流れるが如く、全ての動きはゆっくりつながります。この、ゆっくり次の動きに移行してゆく流れをいかに見せるかが肝でもあります。

では、バレエはどうでしょうか。
バレエはメソッドで決められた技とポジションの組み合わせで踊りが成り立ちます。

コンテンポラリー振付家のウィリアム・フォーサイスはこの"ステップ→ポーズ→ステップ→ポーズ(技)"の流れを崩壊させました。今ではフォーサイスの手法は「バレエの解体」「バレエの再構築」と称されます。

フォーサイス『ステップ・テクスト』

バレエは「ポーズとポーズをステップでつなぐ」手法が根底にあるようです。

私はバレエがこの手法で振り付けられているのは、バレエに商業的価値がある(あった)からだと考えます。

バレエは一種のショーとして存在しているのです。それを裏付けるのがポーズありきの振り付けだと思うのです。ポーズは見せ場です。かっこよさを、美しさをわかりやすく観客に伝えるものなのです。観客はそれを道標にして、楽しさを凄さを、美しさを感じるでしょう。

かつて産業革命を経たバレエはブルジョアの娯楽でした。そうして『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』は誕生してゆきました。

バレエはショーであり、商業的なものである。
このことはバレエの根本的な振り付けの手法からも明らかです。

ジャワ舞踊の多くは王宮で踊られます。もしくは地方の人同士で踊り継がれてきたものです。
何か金銭的アピールをすることはないのです。


しかし、ショーであり、商業的であることは決して悪いことではありません。バレエをみると、芸術性と商業性は十分両立できるのだと思わされるのです。

マクミラン『エリート・シンコペーション』

追記:
舞踏の特異性についてはまたいずれ…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?