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アイドルもダンスする時代。"シンクロダンス"って本当に評価の言葉?

こんにちはソノです♡
いろんなダンスについて考えたい〜今回はダンスにおけるシンクロとは?です。

"シンクロダンス"
 最近この言葉をよく目にします。
テレビやネットでダンサーやダンス作品を評価する際の言葉です。もちろん好評価として。


シンクロの美ってなんでしょうか。
そして、"シンクロダンス"はいついかなる時も好評価の言葉になり得るのでしょうか?

 シンクロダンスはあらゆるところで視覚効果として重宝してきました。本題に入る前にまずはその多様性と感動を呼ぶメカニズムについてちょっとだけお話ししようかなと思います。


 クラシックバレエにはコールドと呼ばれる群舞があります。プリマの後ろで、同じお衣装で一糸乱れぬ動きをするダンサー達です。

【画像】谷桃子バレエ団「作品紹介 『ラ・バヤデール』」より

https://www.tanimomoko-ballet.or.jp/gallery/La_Bayadere.html

 コールドバレエは、バレエ団によっては背丈が揃うように似たスタイルのダンサーを集める徹底ぶり。いや、むしろスタイルを揃える事はバレエ界の当たり前でもあります。みんなが同じ人に見えるように工夫するんですね。分身の術のように同じシルエットが連なる、これがコールドの美学です。
 バレエ『ラ・バヤデール』の影の王国のシーンなんて、まさに分身の術の効果を最大限に活かした演出ですよね。

 映画の世界でもシンクロダンスは一つの視覚効果として重宝してきました。
ミュージカル映画のダンスシーンにおいて、俯瞰撮影で万華鏡みたいに群舞を映すあの感じ、よく目にしますよね。

【画像】映画『四十二番街』より

 恐慌時代のミュージカル映画監督バスビー・バークレーが考案した、その名もバークレーショットというものらしいです。映画『四十二番街』や『フットライト・パレード』は大規模な群舞が見せ場ですよね。バークレーショットは最近でもまだまだ現役みたいです。
映画『美女と野獣』の食卓シーンにも使われていたり…



人が万華鏡みたいにみえる。
コールドバレエの分身の術のように見える人々と同じ、訓練に裏打ちされた身体が見せる驚きの効果です。大人数がまるで分身の術のように、万華鏡のひとつひとつのビーズのようにみえる。これをCGではなく生身でやってのけるなんて、、、


 観る人は、ダンサーに驚愕させられる身体性を求めます。
 生身で出来ないはずのことを生身で見せられたとき、驚きと感動が生まれます。これを見せることがダンサーの仕事です。そして、観客にこの驚愕の身体性を見せると約束するシステムが、興行の成り立つメカニズムです。

 さて、シンクロダンスの多様性と感動を呼ぶメカニズムの話をしたところで、本題に戻ります。

 最近、"シンクロダンス"を売りにするアイドルグループをよく目にするようになりました。女の子も男の子も。踊りながら歌わなければいけないアイドルたちが、シンクロできるまでダンスの訓練をしているなんて…さぞ忙しいスケジュールで練習しているのでしょう。確かに、足音まで揃った驚くようなグループパフォーマンスをテレビやネットで観ることができるようになりました。

 しかし、私はアイドルがシンクロダンスを極めることに、少々の危機感を覚えます。
 先にもお話ししたように、シンクロダンスの歴史とは群舞の歴史でもありました。一方でアイドルの歴史はスター性の歴史であると思います。分身の術や万華鏡のビーズとは真逆です。舞台映えという華やかさと引き換えに、スターシステムの華を失うことは、個性を主張するアイドルたちにとって致命傷にもなり得るのでは。

 シンクロダンスを打ち出しスターシステムの華あえて失う。そんな"諸刃の剣"で戦う彼ら彼女らについてもう一つ言えるなら、
諸刃の剣特有の儚さというのがもしかしたら魅力にもなり得るかもしれないということです。
 アイドルとは現実と虚像の狭間にいるお仕事でしょう。儚さというのは昔からアイドルの魅力のひとつでした。

 シンクロダンスを極めようと頑張る彼ら彼女らは、諸刃の剣をがむしゃらに振る切なさ、儚さを持っていると思えます。それはアイドルとして十分すぎる魅力なのかもしれません。

 "シンクロダンス"、ダンスが揃っていることがあまりにもフィーチャーされすぎる今日のダンス批評に不安を覚えつつ、アイドルといる特異な存在がシンクロダンスの歴史にこれまでと違う価値を見出す可能性に期待しています。


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