ピューリたん

『ピューリたん』単行本あとがき ロングバージョン

発売中の『教派擬人化マンガ ピューリたん』→アマゾンで購入できます
締め切りの関係で未公開になっていたあとがきのリライト、ロングバージョン

2018年4月に連載が終了してから1年が経ちました。読者のみなさんに、やっと本の形でお届けできるとほっとしています。
連載開始時は知識も画力も足りず、今読み返すと辛い…。でも、締め切りの中でネタを出し、公に発表していくことは最高の訓練でした。現在の知識があったらこの企画には怖くて乗れなかっただろうとも思うので、無知ゆえの勢いとその後の研鑽の両方があってこそ、いまの「ピューリたん」があるんだと思います。
連載のおかげで経験できたこともたくさんありました。カード・アプリゲーム化、同人イベント参加、ファンの方との交流…とくに嬉しかったのは、日本救世軍本営のPR用のパンフレットに救世軍さんを描かせていただいたことです。救世軍さんは悩みながら描いてきたキャラだったので、関係者の方に認めて頂けたようで嬉しさもひとしおでした。
一方で、連載開始時から「擬人化すること」の是非について考えてきました。同じ教派でも、時代や地域によって傾向も異なります。なにより、その中にいる個人はそれぞれ別の人格を持っています。それをキャラクターという枠のもとに一括りにするのは、暴力的である、というのはそのとおりです。私も福音派教会の中のリベラル信徒という、字面だけ見ると矛盾した信仰を持っていますので(しかも所属はカトリック神学部を擁する、上智大学)枠に押し込められる違和感は多少なりとも分かっているつもりです。
しかし、私はこの漫画をキリスト教徒に向けて描いたわけでは(実は)ありません。むしろ、キリスト教をよく知らない人へ、自己紹介のつもりで描きました(それにしては内容が内輪向けすぎるのは、ひとえに私の力不足)。日本社会ではキリスト教の知名度はまだまだ低く、Twitterではいまだに「カトリックとプロテスタントの違い」をまとめた画像が話題になります。同じキリスト教徒でさえ、他教派を知らない、関心がない人が多いのが現状です。教派という概念でキリスト教世界の解像度がもっと上がるんだということをまず伝えなければ、教派という枠すら見えないままでは、その中の「ひとり」も見えてこないのではないでしょうか。
そこで考えたのが、「学園もの」「日常系」という形態を使うことです。このエクレシア(教会)学院という大きな学び舎には、まだ出会ったことがない生徒がたくさんいます。同じように、私がまだよく知らない教派もあるはずです。1つの教派の中にもさまざまな人がいます。それは、たとえば友達であっても、私がまだ知らないさまざまな面がある、ということと同じです。日常系の物語には終わりがありません。これから、友達のまだ知らない一面に触れていく可能性が無限に残されているのです。
読者のみなさんには、実際の教派や信徒一人一人と出会うことで、私の作った枠をブレイクスルーしてくださることを望みます。

SONO

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