「男らしさ」を笑い飛ばすこと~島本和彦『炎の転校生』
マンガとジェンダーをめぐるる私の原体験は、小学校2年生の時にさかのぼります。私は、生まれて初めてもらった小遣いを握りしめ、何はともあれマンガ雑誌を近所の雑貨屋に買いに走りました。ですが、店頭に『少年サンデー』も『少年マガジン』もないことにがっかりして、それでも何かマンガを読みたい一心で『週刊マーガレット』を手にとりました。
そしてレジに向かったところ、店のおじさんは手渡された『マーガレット』を見るなり、「君は男の子でしょ。これは女の子の読むものだから、こっちにしときなさい」と言って、店の奥からこれから店頭に出すところだったらしい『少年チャンピオン』を持ってきて手渡してくれました。何ごとにつけても素直な少年だった私は、おじさんに勧められるままに『チャンピオン』を買って帰ったのですが、今でもその(約40年前の)おじさんの言葉をはっきりと覚えているくらい、強烈な違和感も感じていました。
もちろん、このおじさんのおかげで『チャンピオン』と出会い、『ブラックジャック』も『ドカベン』も『がきデカ』も『マカロニほうれん荘』もリアルタイムで読めました。その意味ではおじさんに感謝なのですが。自分が人間の雄に生まれついていることと、『男』であることは別なのだ、それを教えられたのが、まさにマンガにかかわるこの体験だったのです
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いつごろからかはしかとはわかりませんが、少なくとも高校生の頃には、生物学的に雄であることには違和感はなくとも、「男らしさ」を達成しなければという強迫観念につきまとわれ、それを達成できない劣等感に苛まれていました。達成すべき「男らしさ」が曖昧模糊としているから、どうやって達成していいかもわからない。そもそもなぜ「男らしさ」を獲得しなければならないのか、その理由も納得できない。だけれども、それを獲得しなければならないという焦燥感だけはある。少女マンガとSFを読み、ロックを聴いてギターを弾く、そんなことくらいでしか、この劣等感や焦燥感をやり過ごすことができない。そんな高校生活は、「真綿で首を絞められる」という表現がピッタリ当てはまるような、柔らかな息苦しさでした。受験勉強が逃避の手段に感じられたくらいです(笑)。
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それまで読み続けていた『少年ジャンプ』に加えて、『少年サンデー』を読み始めたのも、ちょうどその頃でした。江口寿史が『ストップ!ひばりくん』を『ジャンプ』で、高橋留美子が『うる星やつら』を、あだち充が『タッチ』を『サンデー』で連載していた時期です。いずれもポップで軽快な雰囲気の、既存の少年マンガとは一線を画した作風で、80年代という時代の象徴ともいえる作品ばかりです。逆に『マガジン』は。今に至るまで一度も定期購読していません。どうしても肌に合わなかったようです。『あしたのジョー』は小学校に上がる前から熟読していましたが、『巨人の星』には少し遅かったこともあるのか、そこまで熱中しませんでした(このあたり、私のジェンダー形成にどの程度影響があったのか、われながら関心があります)。
ですが、その中で私にもっとも強烈な影響を与えたマンガとして、何の迷いもなく島本和彦の『炎の転校生』を挙げます。女性のジェンダーについて考えさせる作品は、おそらく他の方々からたくさん挙げられると思います。やおいやBLはクイアな欲望を描くことで、逆説的に男性のセクシュアリティやジェンダーを焙り出すことに長けたジャンルだと思います。ですが真っ向から男性のジェンダーを問題とする、という作品はマンガに限らず、これまであまりないのかもしれません。(おそらく意図的にではないにせよ)その希有な仕事を、それも少年誌でした数少ない例が、『炎の転校生』でした。
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マンガとジェンダーというテーマについて語るとき、私たち男はどうしても自分の問題として捉える視点が欠落しがちです。どれほど誠意を持って真摯にジェンダーの不均衡について語るにしても、女性の問題として「外」から語る、という態度になりがちです。男がジェンダーにいかに、どのように縛られているのか。そこに自覚的にならない限り、「ひと事」でしかありません。
いやそれよりも、そもそも「オトコ」である自分のジェンダーについて語ろうという発想が浮かばない、というところが男たちの本質的な問題です。男が自分のジェンダーを問題視しない態度こそ、男性中心主義の規範が生み出したものなのです。
そう、われわれ男は、自分のジェンダーに向き合うことに慣れていないし、恐れてもいるのでしょう。「オトコ」であることは自明の前提であり、生物学的なオスとして生まれたものは「オトコ」らしさを生得的に備えているはず、という固定観念に縛られた男たちが、「オトコ」であることをいかに不自由にし、周囲に(男にも女にも等しく)迷惑をまき散らしているか。その点について初めて自覚させられたのが、『炎の転校生』です。
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主人公の滝沢昇は、転校早々に球技大会で、なぜかクラスの存続とヒロインの獲得をかけて、ライバルの伊吹三郎と三日間にわたりバレーボールで死闘を繰り広げます。あくまでヒロインの高村ゆかりを巡る戦いにこだわる伊吹に対し、滝沢は当初の目的を逸脱し、ひたすら「勝つ」ことのみを求めます。最後は偶然の力で勝利を得ますが、その翌日また転校する羽目に陥ります。
一方滝沢の父(滝沢父)は「秘密教育委員会」のエージェントでしたが、世界の教育界の支配をもくろむ「裏の教育委員会」との戦いに敗れ、瀕死の重傷を負います。姿を消した父の仇を討つため、「裏」との戦いに身を投じた滝沢は、「裏」の繰り出す刺客(ブラック滝沢、戦闘フォー、etc)を次々と倒していきます。
そして最後に滝沢の前に現れたボスキャラ(裏の会長)は伊吹の実父、伊吹一番でした。伊吹父は生き別れになった妻と次男(伊吹)を捜し出すため(だけ)に、世界を牛耳ろうとしていたのです。(誰の目にも滝沢父であることは明らかである)謎のX仮面のほとんど役に立たない助けも借りながらボスキャラを倒し「裏」の野望を打ち砕いた滝沢は、世界の教育界に再び平和を取り戻すために、外国へ転校して行きます。2年後、卒業式に舞い戻った滝沢は卒業式の答辞で「おれたちは!なにがあろうと絶対に勝つ!!以上だ!」と言い放ち、次のページで「そして滝沢は勝った!!」と、作品は締めくくられます。
最初の伊吹との戦いの勝利は、結局滝沢には何ももたらしていませんし、裏の教育委員会もその目的と手段の間のあまりに激しい落差のために、勝利から得られるものは、実質的には何もありません。ただ勝利した、という事実のみです。ですが、滝沢の求める結果はそれだけ、ただ勝利したという事実だけが重要なのです。あくまでヒロインという実質的な成果を求める伊吹に対して、何と純粋な心理的動因でしょう。だからこそ滝沢はつねに戦いを求め、必要であれば自ら敵をつくりだし戦いを挑み、一つの勝利に満足することなくすぐさま次の戦いに身を投じ、次なる勝利を求めます。いつまでたっても終わりはありません。否応なしにその戦いに巻き込まれる周囲にとっては、ただのはた迷惑です。もっともこの世界の住人は全て、この滝沢的価値観に反論も太刀打ちもできません。ひたすら勝利を求める滝沢につきあわされ続けます。
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そして私は、このマンガを通じて、「勝利」を絶対的価値観とする「男らしさ」という観念を、笑い飛ばすことを学びました。
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『炎の転校生』が、「男らしさ」はフィクションを通じて形成されることに気付かせてくれました。滝沢昇はつねに過剰に「男」(であること)を意識し、その観念としての「男らしさ」に現実に生きる生身の自分を従属させます。「男らしさ」はつねに自分の「外」にあるもの、努力して獲得すべきものであり努力目標である、と信じる点で、滝沢昇は本質主義ではなく構築主義的なジェンダー観の持ち主です。ですが、「男らしさ」を獲得しなければならない、という強迫観念そのものには、まったく批判的な視座を持ちえない。だからこそ、実際の自分に満足せず、つねに理想の「男」をめざすために過剰で見当外れの努力を積み重ね、あまつさえ周囲にも強要する。「男」とはかくも迷惑なものなのです。
この滝沢昇は最後には、何か具体的な目標に向かって努力を重ね、勝利をする必要すらなくなります。ただ努力すること、勝ち続けること。それだけが自己目的化した存在、つまり「男」の化身となって終わります。最終回の最終ページを読んだ時に感じた強烈きわまりない解放感は、他に比べるものが思いつきません。
こうして私は、この『炎の転校生』に出会うことで初めて、あるいはようやく、男らしさを強要するシステムに自覚的になることができました。大学生になってようやく、です。そして島本和彦がマンガやアニメ、特撮番組に拘り、そこにモデルや規範を見出そうとするオトコたちを描き続けているために、ジェンダー規範は社会やメディアを通じて形成されるのだ、ということも理解することができました。
たとえばもう一つの私のフェイバリットでマストアイテム、『仮面ボクサー』の主要テーマは「男の空回り」です。主人公の拳三四郎は、スクワット1,000回を目指して開始したはずなのに、120回でなぜか一休みしてカルピスソーダを飲んでいる意志薄弱な自分自身に嫌気がさしながら、世界征服ジムが送り込む怪人ボクサーたちと闘い続け、偶然ややけっぱちの結果勝ち続けます。勝利は何の自信にも成長にもつながらず、どこまでもいやいや戦い続けるだけで、結果オーライの世界です。したがって少年が「男」に成長する、少年マンガの「物語」に回収されることもありません。
島本和彦のマンガを読むことで、私は何かから「降りる」ことができ、すっかり楽になりました。
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