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絶対に成功しないと思って行動し続けていた話 (幼稚園編)

とにかく人見知りで怖がりだった。

母の元を離れると、家から出ると、必ず最悪なことが起きて、ひとりでそれと戦わなければいけないと思っていた。

幼稚園の体験入園の日だったと思う。
母はこのまま僕をここに残し、こっそりと帰ってしまう。
それを子ども特有の勘で分かっていた。目の前のオモチャで、保育士の先生たちが僕の注意を引こうとする。が、ここで屈してしまえば、絶対に母は僕を置いて帰ってしまう!と、母にぴったりと粘着質に貼り付いていた。しかし、おもちゃの誘惑は思った以上に強く、母に「絶対に置いて帰らんでね。」と約束をして母の元をちょっとばかり離れてしまった。

そのおもちゃは円柱状の絵合わせのおもちゃで、かちかちとダイアルをまわすように絵を回転させるおもちゃだった。顔、上半身、下半身と3つのダイアルがあり、ウサギやサル、ゾウの絵を合わせて遊ぶのだ。あれ?ところでお母さんは?と思った時にはすでに遅し。母はもうその場を去ってしまっていた。僕は火が付いたように泣き喚いた。母が自分を裏切り、うそをついてどこかに行ってしまったという悲しみと怒り、知らない大人たちが自分を取り囲む恐怖で、気持ちがいっぱいになってしまった。絵も擦り切れた色落ちした動物たちがプリントされた古くさいおもちゃ。
「こんなものに騙されるなんて!!」
とにかく仕返しのようにワンワン泣き続けた。
家から外に出ると、いつも怖いことが待っている。
誰かが自分をだまそうとしている。
この考えは、今思い返してみればこの時に生まれたように感じる。

入園してからも大変だった。
知らない子どもと手をつないで登園をしないといけないのである!
何で知らない子と手をつながないといけないの?それってなんか不気味…。そもそもなんで幼稚園に行かないといけないの?!知らないことだらけで怖い!!知らないことは怖い!!
毎朝泣いていたし園服を着させられることが大嫌いだった。遊び着はゴムで手首がキュッとなって気持ち悪い!襟のついた園服は首が変な感じがして窮屈!こんなの来てらんない!と雨の日も風の日も雪降る冬の日も半袖半パンで登園した。

登園中だけでなく、登園してからもずっと泣いているものだから、園長先生直々に母に連絡が入った。
「お母さん、しばらく一緒に登園してあげてください。」
半年から1年ほど、母は園児たちと保育士さんと一緒に僕を連れて登園をしてくれていた。それでも幼稚園を脱走して家に帰ったこともあったし、泣いてしまって仕方がないので園長室に連れていかれることもあった。
園長先生は腹話術が得意で、腹話術人形で僕をあやしてくれるのだが、その人形がめちゃくちゃに怖いのだ。
「僕は首が一回転しちゃうんだよ!!アハハー!!」と楽しませようとしてくるが、そんなの恐怖以外の何でもない。おまけに僕は幼稚園の年少にして、父の大好きなホラー映画「チャイルド・プレイ」を履修済だった。そんな僕にとって、その人形はチャッキーそのものだった。
「ほらほら怖くないよ。楽しいよ!」
「いやだ!助けて!殺される!チャッキーだ!チャッキーが来る!!」
園長室は大騒ぎだった。

やっとモモ組さんでの生活も慣れてきて、先生も好きになってきたころ。たしかその時は、年長さんとの交流会みたいなものをしていたと思う。みんなが楽しそうに年長さんと遊ぶ中、僕はどうやって年長さんと話したらいいか分からず、ボーっと部屋の真ん中に立ってうろうろして時間をつぶしていた。その時、右のアキレス腱に激痛が走った。びっくりして見てみると、右のアキレス腱あたりにがっつり歯形とヨダレがついているのだ!!
なんで!!?
犯人らしき人は周りにいない…。
やっぱり幼稚園て最悪だ!みんなバカに見えるし変な子ばかりだ!!
(本当に何様かと思いますが、あくまで当時の感想です。そんな風に思っていた。)

時は立ち、僕は年長のスミレ組さんへと上がっていた。もう幼稚園に来ることは怖くないし、変な歯形を足につけられることもない。ちゃんと周りのみんなも会話というものができるようになってきたし(本当に何様だよと思う)、会話が出来れば友達もできた。吐いたりお漏らしをする子もいない。僕だってちょっと成長して、入園してきた寂しがり屋の弟の面倒だって見るし、お昼寝の時間は一緒に寝てあげたりする!
あぁ!やっと落ち着いて、この園で生活が出来るようになった!!
というときに卒園がやってくるのであった。


その胸オレに貸してくれ 第10回 絶対に成功しないと思って行動し続けていた話 (幼稚園編)

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