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私が「わたし」を思い出す

自分と向き合うなかで出会った、新たな気づきについて(約1,100文字)

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ずっと、我慢をしていたんだと知る。

ぐっと歯を食いしばって
本当は耐えていたんだと・・・。

自分で認めていなかった事に
気付かせてくれて、認めさせてくれた。



まさか・・・私が?
この私が?


蓋をしていた本質が
それに気づいたことを喜んでいる。
そんな感覚がして涙が溢れた。


私へ。
わたしを思い出してくれて、ありがとう。



生まれたままの私が、今の私に言っている。

伴走役のキャリコンさんが
見守ってくれているから気付くことができた
大切で大きなギフト。




私はただ、認められたかった。


認めて欲しかった相手は母だった。

幼い頃から、父は仕事でほとんど家におらず
女しか居ない我が家で
3姉妹は横並びで育てられた。

かかるお金も、買う物も
塾やそろばんなどの習い事も
小学校の部活も、中学校の部活も
地域のクラブ活動さえ、3姉妹全て同じ。

母自身が、4姉妹で育ち
ずっと比べられて育って来たから
人一倍平等に育てる事にこだわっていて

だから私たちは
姉妹で比べられた事はないし
差をつけられた事もなかった。


それは良い事のようだけど
私たちは母の顔色を伺って
その顔に影を落とさないように
いつの間にか母の望みを察して動く
そんな癖がついてしまった。

だから同じ道からは逸れない。
イレギュラーな出来事を起こさない。
皆、長女=母が敷いた同じレールの上を歩き
出来て当たり前、失敗しないが普通で


母に褒めてもらった記憶がない。

兄弟姉妹で比較されて苦しむ人も居るけど
比較されず均質化されて育っても同じ。

自分の価値を認められずに
ここまで来てしまって
承認欲求が人一倍強いのだと
四十も過ぎて認めることになったんだ。

承認欲求の塊から生えた、私という芽は
褒められたい、喜んで欲しい
認めて欲しいと枯渇していて
咲けずにいたんだと思う。


それを知って涙が溢れた。


喜び方も悲しみ方もよく分からず
長い間、蓋をして来た分
こじ開けるのは大変だけど
喜びや悲しみや悔しさが無かった訳じゃない。

本当はもっと辛かったり苦しかった事が
あったはずですよ。

そんなコンサルさんの言葉に
改めて人生を振り返ると
いかに自分が自分を認めていなかったかが
真っ直ぐに胸に飛び込んできて

ごめんよ、私。

と、色んな物が溶けていくのを感じた。

私はずっと褒められたり認められたりする事に
誰よりも執着していて、真っ先にすべき事は
自分が自分を認めて褒める事だったんだ。


追記:高校を選択する時、初めて自分の意志で2人の姉と違う道を選んだ。それから先は危ういながらも、生き方も働き方も自分で選んで、それでもまだ、わんさか出てくる知らない私を、キャリコンさんが思いやりを持って包み込んでくれている。

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