鬱になるたび大切な落とし物を拾う
毎回、鬱になるたびに、もがいて苦しんでのたれまわるのだが、何か核心的なものを必ず拾って返ってくることに気がつく。そしてその拾い物はとても深淵で、かけがえのない物だ。
人は、苦しんでたり悲しんでたりしている時でないと成長できないと言われるが、まさにそうだと思う。そういう時でないと深く考えないし、対策を練らない。また新たな目線に立てるようになるのもそういう時ではないだろうか。
○落ち込んでる状態でも受け入れてくれる人がいるんだな。
○鬱をカミングアウトしても離れないでいてくれる人がいるんだな。
○カチカチの地蔵さんみたいに固まっている時でもこの世に存在していいんだな。
○躁でエネルギーを使いすぎているから鬱になるんだな。
○あの時は異常でテンションが上がりすぎていたな。
○人に気を遣いすぎて、自分がわからなくなるから鬱になるんだな。人に気を遣わない為にはどのような考えや、治療法があるだろうか。
○今回は前回より鬱の時間が短かったのは、行動活性化療法がよかったのかな。
○鬱の期間に始めたことが自分に合っていて好きなことだったんだな。
○人と会っている時は、よく見られようとして疲れをためているな。
など、鬱状態で沼の中にいる時にどうにか救われたい、元に戻りたいという気持ちでいるために、いろんな案を自分なりに練っている。
ここで気付くものや、練ってる案というものは、谷のそこに独りでいて究極に孤独な状態で考えている物なのでとても根源的な発見や気づきがある。
双極性障害の方は躁と鬱のジェットコースター状態で自分がわからなくなることが多々あると思うが、その度に何かを拾い気づき、発見できていると思う。鬱は、本来の自分に戻るために与えられたバックギフトなのかもしれない。
これはくらべるわけじゃないけど、
双極では無い人の何倍もの数だと思う。
躁を好み、鬱を煙たがるという習性がずっとあったのだが、毎回鬱によって発見、深い思考があるので鬱は悪いものでは無く何かを気づかせてくれる、むしろ感謝すべきものではないかということ。そして、鬱の時に気づいたことを毎回試して前に進んでいけば確実によくなっていくと思っている。
鬱の時の落とし物をいろいろ並べ整理して、組み合わせてゆけば、この病はふらっと去ってゆき、落とし物もなくなるのかもしれない。
まず鬱も紛れもない自分なのだから。
ではでは〜
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