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天空の森での目覚め①

2019年GWは、和歌山紀美野町の天空の森で開催された3日間のリトリートに参加しました。


一応、ファシリテーターはいるものの、森では、

 森との対話・自分との対話

が中心で、笛で呼ばれるまでは基本的に一人。どこにいても、何をしてもよい。

「いってらっしゃい」と放たれた後、何時間も森の中で一人で過ごす。

若葉の狭間から差し込む太陽の光を浴びながらじっとするもよし。



穴倉のような、こんなところで寝るもよし。

基本的に、時計もスマホも人との会話も手放し、何時間も森に自分を委ねていると、面白いことにだんだん五感が開いてくるのが分かる。


少し離れたところを飛ぶ蜂の羽音がとてもクリアに聞こえ、

朽ちた倒木に群がる名もなき虫(と勝手に私が思っているだけ。多分、名前はある。そして、向こうから見たら、私の方が見慣れない動物だ。)が、何十匹も飛び回る様子がはっきりと見えてくる。

匂いにも敏感になり、木や土の匂いが安心感さえ与えてくれる。

裸足で歩くと、地面はふわっと暖かいことを知る。


感覚が開くのと同時に、左脳が強制シャットダウン状態になり、ただ感じるだけで、何も考えられなくなる。


自分の内部の感覚「好み」にも敏感になり、
ここは居心地がよい、よくない、ここにいたい、いたくない、も、はっきりするし、じっとしていたい、寝たい、動きたい、そういう衝動も素直に感知できるようになる。

眠たくなったら、どこでも寝っ転がり大の字になって眠る。
動きたくなったら、道なき道をバキバキ音を立てながら、倒木をくぐったり乗り越えたりしながらあてもなく進む。


そうしながら、自分の「枠が外れていく感じ」「動物であったことを思い出す感じ」が湧き上がるのを楽しむ。

都会では感じること、自分の好みを選ぶことに蓋をして、相当不感症になっているらしい。だから、地球や生き物に無関心でも平気でいれるのかもしれない。思考で考える地球の大切さと体感で感じる大切さは全然違う。


だんだん、自分と森が一体化する感覚になり、
この森の木も草も鳥も虫もキノコも微生物も私も、

  「単なる生き物である。ただそれだけ。」

という当たり前のことを、湧き上がる感覚で認知するようになる。


この後、宿に戻り、焚火を囲んでのメンバーとの交わりや、森からのサインを得て、ぐっと思考が深まるプロセスをたどるのだけれど、続きはまた今度。


森のリトリート https://morie.co.jp/



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