【傍聴メモ】2024年2月21日広島市議会総括質問(教育勅語引用研修、広島と米真珠湾との間の姉妹公園協定について)
松井一実・広島市長が、就任直後の2012年以降、新人職員研修にて、教育勅語を引用した内容の資料を使い続けていることが共同通信などの報道により発覚、その
後も、当該資料の使用をやめない姿勢を示しています。
このことについて、2024年2月21日の広島市議会で市長の姿勢を問う質問をした議員がいましたので、情報共有します。2023年6月、広島市が平和記念公園とアメリカ・真珠湾のパールハーバーの国立記念施設との間で、市民との間の議論を経ることなく唐突に姉妹公園協定を結んだ問題についても触れられています。
多くの若い命を戦争に駆り立てたものに対して、現代のわたしたちはどう向き合うのか、市民の頭上に核兵器を投下したアメリカの責任とどう向き合うのか、そして、広島市が訴えてきた「平和」とは一体なんなのか、考える機会になればと思います。粗いメモですが、市議会事務局によるテキスト公開は通常数ヶ月後となることもあり、議会の会期中に公開されることがないため、ここに記しています。(なお、リンク等は理解を進めるためにわたしが適宜挿入したもので、発言者や広島市による説明によって提示されたものではありません。)
まず、松井市長が就任された翌年から、新規採用職員の新人研修の際に、市長が自ら行われた講話の資料に、教育勅語の一部が採用されていたことが、昨年12月議会の最中に報道されました。
大きな反響を呼び、戦争反対、核兵器廃絶の運動に取り組んでこられた多くの方々から、驚きと抗議の声が上がりました。それは「平和都市」広島の市長がなぜ今さら教育勅語か、という強い反発の声です。
12月議会の総務委員会での研修センター所長の答弁によれば、市長は教育勅語が作られた頃の時代背景を交えて、当該部分は現在の民主主義の概念にも通じる内容もあると話しておられるとのことでした。
市長は記者会見の中で、英語の翻訳文を資料に載せたことを紹介され、これを見ると、教育勅語の中に民主主義的な考え方を盛り込もうとしたことがわかる、というようなことを述べておられました。
詩を一つ紹介いたします。
逝いて還かえらぬ教え児よ
私の手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
慚愧 悔恨 懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
これは、戦前から教員をしておられた竹本源治さんが、太平洋戦争の中で、自らが教師として教え子を戦場に送り出し戦死させた責任があまりにも重く深いことを思い、戦後に綴られたものです。
また、19年前の憲法を守ろうという集会でのことですが、かつて高知県須崎市長や自民党高知県連総務会長などを歴任された梅原一さんが、15歳で松山海軍航空隊に志願入隊されたその当時、天皇のために命を捨てることが国のためだと信じていたと言われました。さらに、15歳の子どもが命を粗末にすることを正しいと信じていた。教育の力がいかに恐ろしいものかということです、とも言われました。
学校の教員に対しても、幼い子供たちに対しても、当時の大人たちに対しても、天皇のために命を投げ出すことが正しいことだとマインドコントロールする大元になったのが教育勅語です。これは当時の日本の根本の教育指針であり、全国の教員がこの立場に立ち、教育勅語の考え方を子供たちの精神に注入した。
その結果、竹本源治さんのように、教員たちが教え子たちを進んで戦場に送り出すことになり、梅原一さんのように、15歳の少年たちが進んで志願し、兵士になって天皇のために死ぬことが最も尊いことだと思い込むことになりました。そのようにして兵士になった若者たちが1944年になると、自ら志願するという形で、出撃すれば必ず死ぬ特別攻撃隊に組織され、その中でおよそ6000人に上る人たちが、未来ある若い命を散らした事実もあります。
市長は、教育勅語にまつわるこのような事実を、どのように受け止めておられるでしょうか、お答えください。
市長はその後の記者会見の中での説明の中で、温故知新、古きをたずねて新しきを知るの実践の例として、教育勅語の一部を資料に採用されたという趣旨のことを述べておられます。
先の総務委員会で研修センター所長に、教育勅語についての市長の話をどのように理解したかを聞いたところ、一つの事象の中には良い点と悪い点があるため、全体を画一的に捉えて良い悪いと判断するのではなく、中身をよく見て、多面的に物事を捉えることが重要であるということを、市長が紹介されていると理解しておりますと答弁されました。市長が良いとされたことを捉えた答弁であろうと思います。
一般的に物事を考えるときに、中身をよく見て多面的に捉えることは必要だと思います。しかし、教育勅語に関して、温故知新というなら、そこにある、「爾臣民」以下の12の徳目の一部を取り出して、悪いものもあるが、良いものもあるから多面的に捉えようということではなく、何のために12の徳目が並べられたのか、その前提は何か、これがどういう役割を果たしたかを学び、これを教訓として将来に生かすということではないでしょうか。この点についてどのようにお考えかお答えください。
教育勅語は、1948年の国会で衆議院・参議院のそれぞれで排除に関する決議、失効確認に関する決議がなされました。その決議案の内容を議論する際には、詔勅の内容には良い部分もあるということで、そういう部分には真理性があるといった内容を、盛り込もうという議論もあったようですが、実際にはそのような内容はありません。
この理由については、当時の衆議院文教委員会の松本淳造委員長が、決議案の提案理由の中で、「我々はその教育勅語の内容におきましては、部分的には真理性を認めるのであります。それを、教育勅語の枠から切り離して考えるときには、真理性を認めるのでありますけれども、勅語という枠の中にあります以上は、その勅語が持つところの根本原理を、我々としては現在認めることができない、という観点を持つものであります」と述べています。
教育勅語にある徳目の一つ一つが、教育勅語とは全く無関係に語られる場合は、それだけの意味で、それらをどう考えるかは国民個々の問題です。しかし、教育勅語の中にある徳目として語られるときには、天皇の臣民はこうあるべしというものとなり、それらは最後の、いざというときには一身を捧げるべきとの徳目と併せ、そのようにして永遠に続く皇室国家の発展のために働かねばならないという大前提に貫かれているのであって、その大前提のない徳目は意味をなさないものになります。この文章のどこに、民主主義の考え方があるのでしょうか。
また、教育勅語を英語に翻訳したら、民主主義の考え方が見えてくるなどと述べておられます。戦前でも、民主主義が社会に定着していた欧米の言語と、儒教の考え方が基本にあり、絶対的天皇制の社会で使われていた日本語では発想が違うでしょうし、結果的にそうなったというだけのことでしょう。教育勅語を起草した井上毅も元田永孚も、いずれも根本思想は儒教であり、教育勅語に民主主義の考え方があったとは言えないでしょう。以上について、市長はどのようにお考えでしょうか、お答えください。
また市長が教育勅語を示してその中で、後輩に引き継ぐべきものとなっているのは、どういう内容のことでしょうか、お答えください。
この問題がテーマの一つになった12月19日の市長の記者会見ですが、市のホームページで公表されているYouTubeの映像を見ると、記者の質問への答えの中で、教育勅語資料に使っていたことが、今回のように問題にされたことは、共同通信の記者が漏らして初めてだと言われました。政治を監視し、必要だと判断したら知り得た事実を広く公表し、市民が検証できるようにすることは、ジャーナリストとしての使命だと思いますが、市長との懇談の席に同席した記者が漏らしたことについて問題だとお考えなのかどうか、お答えください。
漏らしたと表現されたことは漏らされたくないと考えておられたということだと思いますし、記者たちが漏らさないことを前提に話をされたとしたら、極めて傲慢なことだと思いますが、どうお考えでしょうか、お答えください。
次に、広島市に新たに採用された職員が、広島市の職員として初めて職務に就く際に行う。服務の宣誓について質問します。これは、国家公務員も地方公務員も初めてその職務に就く際に行うことが法律で定められたものです。新規に採用された市の職員が、私はこういう立場で、広島市の職員として職務を行いますという誓いを市長に宣言し、署名を行うものです。
日本国憲法第99条には、天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うとうたわれております。全ての公務員は、国家公務員も地方公務員も、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っているわけです。
地方自治体はそれぞれ服務の宣誓に関する条例を定め、その中に様式、服務の宣誓で述べ、署名する文章の内容が定められています。そこには、憲法99条を踏まえて、通常は日本国憲法を尊重し擁護することを誓うといった言葉が盛り込まれております。全ての公務員は法に基づいて職務を行わなければなりませんが、憲法98条にある通り、日本の全ての法体系の大元は日本国憲法です。
広島市の職員は、日本の地方自治体である広島市の職員として、憲法第15条に基づく広島市民全体への奉仕者の一人であるという立場を自覚することとともに、憲法に基づいて作られた法令や条例に精通し、憲法の条文と、そこに込められた理念や精神を踏まえて行動し、職務を遂行しなければなりません。
広島市に新規に採用された職員には、初めて職務に就くにあたって、憲法を尊重し擁護しなければならない立場に立ったのだとの自覚を持っていただかなければなりません。だからこそ、服務の宣誓には、通常は日本国憲法を尊重し、擁護することを誓うとの言葉が盛り込まれているわけです。この点について、市長は異論があるかどうかお答えください。
広島市でも、政令指定都市になる以前は、服務の宣誓に、日本国憲法の尊重擁護を誓う言葉が入っていました。しかし、政令指定都市になって、都市のあり方を国際平和文化都市であると決めたことから、服務の宣誓に憲法の尊重擁護を掲げる必要がないと考えて、この言葉を削除したと、昨年12月の総務委員会で担当課長が答弁されました。
その理由は、「国際平和文化都市」という都市像には、憲法の理念が込められており、国際平和文化都市・広島市の職員として、市民から負託された職務を行うものであることを自覚し、市民の立場に立って市民福祉の向上に全力を尽くすことが述べられていることから、今の宣誓書には、憲法の理念がそのまま流れ込んでいるので、憲法遵守の言葉は必要ないということでした。
また事前に、憲法尊重擁護義務などの心構えも含めた学習資料を送付し、周知を図っているという理由も述べられました。事前に学習資料を送付しているからといって、その内容が職員の自覚になっているとは言えないでしょう。
現実にパワハラをはじめ、職員の不祥事が繰り返され、市民の立場に立っているとは思えない福祉現場の対応、つまり、憲法の根本原理の一つである人権を尊重しているとは思えないことを私自身が経験し、この市議会の中でも指摘をしてきました。
被爆都市である広島市として最も重要な事務の一つである被爆者への対応でさえ、救護被爆者の認定では裁判を起こさなければならなかったし、被爆した当時のことや、被爆者への差別があったことなどの事情を理解しない対応もあったのであり、必ずしも、広島市の職員が被爆者市民の立場に立って職務を行っていたとは言えない実態がありました。
ジェンダーの視点に立って、現状で生理用品の確保に混乱をきたしている女性たちがたくさんおられる。備蓄品としての期限が切れたものでいいから、学校をはじめ、公共施設のトイレに生理用品を置いたらどうかと、他都市の例を示して提案をしましたが、全く取り組まれておりません。とても人権を無視(重視と思われる)した行政とは言い切れないのが実態であります。
国際平和文化都市の都市像に、憲法の理念が込められているとしても、それをもって憲法そのものに変わりうるとはいえないことは明らかでしょう。また、市民から負託された職務を行うものであることを自覚することと、憲法15条にある公務員は全体の奉仕者であるということを自覚することとは違うのではないでしょうか。以上についてどのようにお考えかお答えください。
服務の宣誓の内容から、日本国憲法の尊重擁護の誓いの言葉が削除されたのは40年前のことで、今の松井市長のときではありません。しかし、12月の総務委員会のやり取りを振り返ると、今の市政のもとでは、どうも新規採用職員に憲法の尊重擁護を誓わせたくないのではないかという疑いが生じてきました。
服務の宣誓の最初のところに、日本国憲法を尊重し擁護することを誓いますという20文字、時間にしてわずか5秒程度を加えることが、そんなに嫌なことなのか、そんなに大変なことなのか、お答えください。
国際平和文化都市を目指す広島市としては、国民主権と基本的人権という民主主義国・日本にとって最も重要な大原則とともに、どのようにして世界平和に貢献するかをうたい、平和主義を掲げる日本国憲法は、広島市の行政として最も重視しなければならないものです。
同時に、日本国憲法を守ることは、日本という国の中で仕事をする公務員にとっては、思想信条の問題ではなくて義務です。市の職員は市民に対して何らかの行政処分を下す権限を持っております。
憲法は国民ではなくて、公務員に対して、この憲法に従って職務を行うよう、職務のあり方に枠をはめるものです。だからこそ、憲法遵守を義務付けているわけです。この義務を、市の職員として初めて職務に就く際に宣言させることで、義務をはっきりと自覚してもらう必要があります。自覚するからこそ、憲法の学習も行うことになります。だからこそ、他の自治体では、憲法の尊重擁護を誓わせているわけです。
広島県も、広島市以外の県内の全ての市と町でも、また他の19の政令指定都市全ての服務の宣誓でも、例外なく、憲法の尊重擁護を誓う言葉が入っております。広島市だけが憲法の尊重擁護の誓いを削除しているのです。異常なことだと思います。
直ちに、広島市の服務の宣誓に、憲法の尊重擁護の誓いを復活させていただきたい。どうされるか、お答えください。
最後に、広島市の平和記念公園とアメリカ合衆国国立公園局が管理しているハワイのパールハーバー国立記念施設との姉妹公園協定について質問します。
昨年6月22日、6月議会の開会中に、この姉妹公園協定なるものが突然発表されました。市民の声を聞くどころか、協定締結の方針を決めた市長に、議会で直接ただす機会もないまま、この重大なことが市長の独断で調印されました。
広島市の主役は広島市民です。被爆都市・平和都市・広島として、広島市民、被爆者の皆さんが、松井市長が市長に就任されるはるか以前から、連綿と核兵器廃絶の悲願達成に向けて取り組みを重ねてこられましたが、今回の姉妹公園協定は、その主役を置き去りにしたまま市長の独断で行われました。
アメリカ合衆国政府に対しては、広島と長崎に非人道兵器である原爆を投下したこと自体の責任を問い、原爆の使用によって一瞬のうちに膨大な数の命を奪い、その後も次々と命を奪い続け、さらに、こんにちにまでその被害を及ぼし続けていることについて、真摯に被爆者に謝罪し、率先して核兵器廃絶への取り組みを行うよう求め続けてきた広島と長崎の思いがあるわけです。
それらの重大なことを勝手に棚上げにして、さっさと原爆投下の張本人であるアメリカ合衆国政府の代表と姉妹協定を締結してしまったことに対して、広島の被爆者運動からも厳しい非難と怒りの声が上がりました。まず、広島の核兵器廃絶運動の主役は、被爆者であり広島市民だと考えますが、市長のご認識をお答えください。
また、被爆後10年間、まともな援護もない中で、心ある医療者や支援者の皆さんとともに、自ら苦しみを訴え、こんにちの被爆者援護法にまで、被爆者援護の制度づくりを進めてきた主役は紛れもなく被爆者の皆さんであり、原爆で焼け野原になった広島の街を復興し、住んでいた場所を追われた方々も含め、平和記念公園を作った主役は、被爆者を含めた広島市民だと考えていますが、市長のご認識をお答えください。
広島の被爆者や広島市民を置き去りにして、この重大な問題を勝手に判断し、勝手に姉妹協定に調印したのはなぜか、お答えください。
市は市民団体の質問状への回答で、協定締結のための作業を行う過程では、原爆投下責任などについて議論しなかったとしていますが、そのこと自体がとんでもないことであり、だから勝手にやったと非難しているのです。
アメリカ合衆国政府は、使用すれば一つの都市が丸ごと壊滅し、広範に、かつ長期にわたって、深刻な苦しみを人間に与えることがわかっている兵器を、軍人だけではなく、赤ちゃんからお年寄りまでの一般市民の頭上で爆発させ、こんにちに及ぶ甚大な被害を与えた加害者です。
その加害者と被爆者が和解するためには、何よりも加害者としてのアメリカ合衆国政府が、市が棚上げした原爆投下の責任を認め、謝罪することが必要だと考えますが、市長のご認識をお答えください。
すでに多くのアメリカ合衆国の市民が、自国の政府による原爆投下の責任を認め謝罪し、私達を含めた核兵器廃絶の運動を一緒に取り組んでおられます。広島市民はそうしたアメリカの市民とはすでに和解し、ずいぶん以前から交流をしてきました。パールハーバーからわずか10kmのホノルル市とは、早くから広島市との姉妹都市協定が交わされ、長く市民社会としての交流が続けられてきました。これからもアメリカ市民、ホノルル市民との交流は、今回のパールハーバー記念施設との協定などなくとも行われることでしょう。
つまり、アメリカ合衆国の市民との和解や交流は、今さら市長が、アメリカ合衆国政府と勝手に和解などしなくても、すでに行われてきたのであり、今回の協定締結の理由にはなりません。お考えをお答えください。
次に、世界で人間に核兵器を使用した国は、ただ一国、核兵器開発競争の先頭に立ってきたアメリカ合衆国だけです。この国が原爆投下が誤りだったことを認め謝罪することは、核兵器廃絶の極めて重要な節目となることであり、広島としては絶対に譲ることができないことですが、協定当事者の姉妹協定の当事者であるアメリカ合衆国政府の原爆投下責任の棚上げはいつまで続けるのか、お答えください。
アメリカ合衆国という国は、現状で核兵器廃絶に取り組む考えは見られません。核兵器廃絶に向けた重要な節目となった核兵器禁止条約が国連で採択されるにあたって、その採択を中国やロシアなど他の核兵器保有国と共同して妨害まで行った国です。
また、アメリカ合衆国は原爆ドームの世界遺産化に反対した国でもあります。アメリカ合衆国を中心としたG7による広島ビジョンでは、究極的に核兵器廃絶を目指すと、いつになるかわからない空手形を出しただけでなく、広島の名を使って、核抑止論さえ平然と打ち出しました。
いくら核兵器廃絶という言葉を使っても、今前向きに、核兵器廃絶に向けて具体的な一歩踏み出す取り組みを始めるかどうかが大事ですが、アメリカ合衆国は1ミリでも前に進むどころか、新たな核兵器開発競争を進めようとしています。
アメリカ合衆国政府は、原爆被害の実態が徐々に世界に知られていく中で、原爆投下に対する世界の世論の批判を避けるために、原爆投下後、大勢の被爆者が見たこともない病気や障害に苦しみ、次々と亡くなっているのに、日本を占領支配している立場を悪用して、原爆で苦しんでいる者はいない。死ぬべきものはみんな死んだと宣言し、日本国内では被爆による苦しみを発信することさえ許しませんでした。
そのため、10年以上にわたって日本政府としての救済措置が行われないまま、被爆者は放置されました。その後もアメリカ合衆国政府として、被爆者の生活面でも、医療面でも救済を行うことはありませんでした。
それどころか、DS86など、アメリカ合衆国政府が関与を続けてきた放射線影響研究所などが作った原爆被害を小さく見せる基準等によって、被爆者の救済が妨害されました。そのため、原爆症認定訴訟や、救護被爆訴訟、黒い雨被爆訴訟と、被爆者は病の体を押して、次々と集団訴訟をせざるを得ませんでした。
そのアメリカ合衆国は、人間の頭上に原爆を投下した唯一の国家として、未だにその人道上の責任を認めることをせず、被爆者に対する謝罪も行ってこなかった国家であるとして批判の対象になり続けてきました。それを常に訴え続けてきたのが広島であり長崎です。
それを曖昧にし、あわよくば払拭するチャンスが広島でのG7サミットではなかったかと思うし、そのタイミングで行われたパールハーバー記念施設との姉妹公園協定ではなかったのかと考えます。
核兵器廃絶への機運醸成などする気もないように思える、アメリカ合衆国政府が姉妹協定を働きかけてきた意図はそこにあったのではないでしょうか。戦争中であったとはいえ、数十万の市民に対して原爆を使用したことの誤りを認め、被爆者にするべき責任を議論もせず、あえて棚上げして、アメリカ合衆国の市民社会とではなく、原爆を投下したアメリカ合衆国政府と姉妹協定を行ったことは、アメリカ合衆国政府が原爆投下責任について、これからも曖昧にしたままにできる、あるいは、これからは考えなくてよくなるということにしてしまったのではないかと考えます。
私は今回の問題は、アメリカ合衆国政府としてはこれまで通り、原爆投下責任を認めないし、被爆者への謝罪もしないが、被害者である広島の方から、加害者であるアメリカ合衆国の方に歩み寄ってくれという、アメリカ国家の極めて身勝手な要求を広島市長が勝手に受け入れた、ということになるのではないかと思うのです。この点についてどうお考えかお答えください。
今年1月下旬に、パールハーバーの施設を視察に行かれた方々の報告会がありました。それによると、今回の協定の対象施設は、パールハーバーにある戦争記念館や軍事博物館などの施設群の中のアリゾナ記念館など4施設とビジターセンターだとしていますが、実際にはその対象施設と、他の施設との区別はなく、配布された案内リーフも音声ガイドの内容も区別していません。
対象施設を含めた区域全体が実態としてアメリカ海軍の管理下にあって、今回の協定の対象施設はその中の公立国立公園局が管理している施設だということに過ぎません。入口になっているビジターセンターから入ると、一番近くにある潜水艦博物館では、なんとアメリカの核ミサイルの過去・現在・未来の開発の経緯が展示され、核開発の必要性が語られていたということです。
一番の対象施設となっているアリゾナ記念館に行くには、アメリカ海軍のシャトルボートに乗らなければならないのです。軍のセキュリティ対応が極めて厳しく、海に向けてカメラを向けることも許されず、常に軍が監視しており、我々の平和記念公園とはまるで一律の空間だったそうです。この区域は兵士の追悼とともに、戦争への備えを考える節分であり、太平洋戦争で戦争で戦った兵士たちを称え、二度と奇襲攻撃を受けたりしないために備えよ、という教訓を教える施設群・区域だということでありました。
原爆投下責任と謝罪の問題を棚上げにしてまで、姉妹協定を結ぶべき施設とは到底考えられません。先に市民被爆者に相談していれば、事実の調査も含めて様々な議論がなされたでしょうが、それらを全てカットされてしまいました。
先にも述べたように、被爆地広島の被爆者救済と核兵器廃絶運動の主役は、被爆者である広島市民です。平和記念公園は被爆者のものであり、広島市民のものです。アメリカ合衆国政府の原爆投下責任や、未だに謝罪していない問題を棚上げにしてまで、アメリカ合衆国政府と姉妹協定を結ぶという重大な問題を判断するにあたってはどうしても、この主役に相談しなければならなかったはずです。
ところが、原爆投下責任などについて考えもせず、何らの相談もせず、松井市長は独断で判断し行動された。これが国際都市・平和都市・文化都市のやり方でしょうか。これは、民主主義の欠片もない独裁的なやり方だと非難されて当然です。国際平和文化都市広島市で、このようなやり方は許されません。協定の撤回を求めるものですとされるか答弁を求めます。以上です。ありがとうございました。
市長:
中森議員から新規採用職員の研修で、教育勅語が使用されていることについてのご質問がございました。教育に関する勅語に関わる議員の質問のうち、所見等につきましてはコメントすべき立場ではないことから事実関係に関わる質問についてのみお答えをさせていただきます。
教育に関する勅語については、私が就任した当初から、旧憲法下でのもので誤った使い方がされたものであるから決して取り扱ってはならないという意見がある一方で、教育に関する正しいことが書いてあるものだから、それを適切に理解して展開しなければならないといったような意見がございました。
私は市職員を指揮するという公の立場にある者として、そういったことへの対応を求められた際には、様々な意見に耳を傾けながらも、客観的な分析を踏まえ、公正公平に対処していくことが必要だと考えたところであります。
そこで、様々な意見がある物事についてはこれを画一的に捉え、良い悪いと判断するのではなくて、日本は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とする国であり続けまた、基礎自治体としてそれを実践していくために、歴史的な事実を知った上で、全体等を多面的に捉え、対応することが大切であると考えて、職員にもこうしたことをしっかり身につけてほしいという思いで、市長に就任した平成24年度から、昔のことを研究して新しい知識や道理を知るということすなわち、温故知新という説明を行っているところであります。
なお政府は、教育に関する勅語の基本理念に関し、学校において教育に関する勅語、我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切であると考えているが、憲法や教育基本法等に違反しないような形で、教育に関する勅語教材として用いることまでは否定されることではないという答弁書を、平成29年3月31日に出しております。
こういった中で、職員に対する研修において、教育に関する勅語を語る際には、まずはそれらが作られ使用された頃の時代背景を知った上で、戦争態勢に持ち込むために用いられたことから、文部行政の中から消えていった、という歴史的な事実とともに、記述内容には、現在の日本で通用することを検証しても良いものがあるのではないかということを伝えているものでありまして、今後とも丁寧に説明していきたいと考えております。
その他のご質問については、関係局長から答弁いたします。
企画総務局長:
新規採用職員の研修で、教育勅語が使用されていることについてのご質問のうち、市長が教育勅語資料に使っていたことを、懇談の場に同席者が漏らしたことを問題だと考えているのか、また記者が漏らさないことを前提に懇談の席で話をしたのかについてお答えいたします。
昨年12月の記者会見において、研修に関わる方々から、この教育勅語の使用はどうなんだろうといった意見が出されたことはこれまでにありましたか、という質問があったことから、市長はありませんと発言するとともに、どうなんだろうという意見を聞いたのは、共同通信の方からが初めてですという趣旨のことを回答したもので、議員の指摘されているような認識や意図はございません。
次に、新規採用職員の服務の宣誓について、4点のご質問にお答えいたします。はじめに、広島市に新たに採用された職員は、初めて職務に就くにあたって、憲法を尊重し擁護しなければならない立場に立ったという自覚を持たなければならない。だからこそ服務の宣誓には通常は日本国憲法を尊重し、擁護することは違うとの言葉が盛り込まれているが、このことについて異論はあるかについてです。
公務員として新たに採用された職員は、職務を遂行するにあたり、日本国憲法を尊重し擁護する義務を深く自覚する必要があることから、国や他の自治体において、宣誓書に憲法尊重擁護義務が記載されていることに異論はございません。
次に、国際平和文化都市の都市像に、憲法の理念が込められているとしても、憲法そのものに変わりうるとはいえないことは明らかである。また、市民から負託された職務を行うことを自覚することと、憲法15条にある、公務員は全体の奉仕者であるということを自覚することは違うのではないか。このことについてどう考えるかについてです。
本市の宣誓書の記載につきましては、本市が憲法に掲げる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義といった基本理念に基づいて、地方自治体として活動するために本市職員に付託された職務は、憲法第15条に定める全体の奉仕者としての職務にあたるものであるとともに、その詳細に示した職務に全力を尽くすことを通じて、全体の奉仕者であることの自覚を促すことになると考えております。
最後に、服務の宣誓の最初の部分に、日本国憲法を尊重し、擁護することを誓いますという文字を加えることは、そんなに嫌で大変なことなのか。また直ちに広島市の服務の宣誓に憲法の尊重擁護の誓いを復活してもらいたいかどうか、をあわせてお答えいたします。
先ほどもご答弁しましたとおり、本市の宣誓書には、憲法に掲げる基本理念に基づいて、本市職員が全体の奉仕者として職務に当たる上での心構えを詳細に記載していることから、この点を変更する必要はないと考えております。
しかしながら、ロシアによるウクライナ侵攻が長期化し、核兵器使用のリスクが懸念されていることに加え、核保有国においても、核兵器の近代化や増強が図られるなど、現下の緊迫した世界情勢等を十分に考慮し、一定の修正を検討する余地はあると思います。以上でございます。
市民局長:
パールハーバー国立記念公園と平和記念公園との姉妹公園協定について、数点のご質問にお答えします。まず、広島の核兵器廃絶運動の主役は被爆者であり広島市民、平和記念公園を作った主役は、被爆書を含めた広島市民だと考えるが、認識はどうかについてです。
人類史上初の被爆都市である本市は、被爆の惨禍を経験した被爆者のこんな思いを他の誰にもさせてはならないという、切実な願いが原動力となって、市民による核兵器挨拶に向けた運動が広がってきたと考えています。また、平和記念公園については、廃墟からの復興を後押しした広島平和記念都市建設法が住民投票で圧倒的多数の市民の賛成を得て、昭和24年8月6日に制定され、この法律をもとに平和都市の建設が進められた中、国内外からの温かい支援を得ながら被爆者を初めとする市民の先人たちのたゆまない努力によって作られたものであると認識しています。
次に被爆者や市民を置き去りにして勝手に判断して協定に調印したのはなぜか、についてです。このたびの姉妹公園協定については本市として、核兵器廃絶を願う被爆者の思い、姉妹都市、ホノルル市との60年以上にわたる市民同士の交流、そして10年以上にわたる「迎える平和」の取り組みを踏まえつつ、被爆者団体および議会に対して、未来志向で平和と和解の架け橋の役割を果たしていくことになるなどを説明した上で協定を結んだものです。
次に、和解するためには何よりも加害者としてのアメリカ合衆国政府が原爆投下の責任を認め、謝罪することが必要であると考えるかどうかについてです。
原爆投下への謝罪については、関係者間で対話し、議論を深める中で対処しうるものと考えられることから、まずは姉妹公園協定に基づき、平和を愛する人々、とりわけ若者を中心とする相互訪問の実施や企画展の開催等、被爆の実相を守り広め伝える取り組みを進めることにより、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという米国側の市民社会における機運の醸成をしっかりと図ってまいりたいと考えています。
次に、今回の協定がなくても、ホノルル市との姉妹都市協定により、市民交流は続くであろうし、アメリカ合衆国の市民との和解や交流は、市長がアメリカ合衆国政府と勝手に和解などしなくてもすでに行われており、今回の協定締結の理由にならないと考えるがどうかについてです。
本市としましてはホノルル市との姉妹都市協定に基づき、60年以上にわたる様々な交流の積み重ねを踏まえた上で、昨今の世界情勢を考慮すれば、今こそ双方が和解の精神を重視した対応を未来志向で行っていく好機であると捉え、協定を結んだものです。
次に、アメリカ合衆国政府の原爆投下責任の棚上げはいつまで続けるのかについてです。棚上げは昨年9月議会において、今回の姉妹公園協定が米国国家の責任を不問免罪にするのではないということを説明するために用いたものです。
原爆投下の責任については双方の関係者間で対話し、議案議論を深める中で対処しうるものと考えています。
次に、この協定は被害者である広島から加害者であるアメリカ合衆国政府に歩み寄ってくれという、アメリカ国家の極めて身勝手な要求を市長が勝手に受け入れたということになるのではないかについてお答えします。
協定調印式のスピーチにおきまして、エマニュエル駐日米国大使は、オバマ・バイデン・カーター3人の大統領の広島訪問が今回の協定締結に繋がった。また、姉妹公園協定により、パールハーバーと広島を訪れ互いの歴史を学び、より良い未来の道筋を描く人々が、日米双方でますます増えていくだろう。さらには、アメリカ全土と日本中の人々が広島とパールハーバーを訪れ、和解の精神を学ぶことを期待していると述べられておられるところであり、米国政府への歩み寄りの要求があったという事実はなく、それを受け入れたという指摘も当たらないと考えています。
最後に、被爆者や市民に何ら相談もせず、市長が独断で判断し、行動した。国際平和文化都市広島市で、民主主義の欠片もない、独裁的なやり方は許されず協定の撤回を求める、についてお答えします。
繰り返しになりますが本協定については、被爆者団体および議会に説明した上で、現在の世界情勢も視野に入れつつ、今こそ若い人ばかりの精神を重視した対応を逃してはならないと判断し、締結したものです。今後本協定に基づいて、未来志向の取り組みを両公園で検討し、次世代を担う若者を中心とする市民同士の交流を深め、和解の精神を具現化した交流の好事例として世界に発信したいと考えています。以上です。
中森辰一議員:
再質問させていただきます。市長が答弁をされましたけれども、私は、市長のいろいろ言っていらっしゃる考え方に対して、私の見解を述べさせていただきました。ただですね、市長が思っていらっしゃることを、市の職員に伝えるために、教育勅語でないとどうしてもいけないという、そういう理由があるんでしょうか。他にはないのかというふうに思うわけです。なぜ、教育直前勅語でないといけないのか。この点を明確にご説明いただきたい。
それから、最近ですけれども、法律の専門家集団であり、法律で位置付けられている弁護士会というのがありますが、ここが公務員である市長が教育勅語を研修で使用することは誤りであると断じておられます。その理由について、国民主権を原理とする日本国憲法および教育基本法と根本から矛盾すること。憲法1条や憲法20条とも相いれないこと、さらに、戦時下で、国民を戦争に動員する思想統制に利用された歴史的事実から、広島の市長が、この一部を切り取って評価しても良い部分があったと取り上げること自体に問題があると指摘をしておられます。
市長はこのことについてどういうふうに受け止められたでしょうか。お答えいただきたいと思います。
それから、服務の宣誓についてはあえて申し上げますけれども、実は47都道府県の全ての服務の宣誓に憲法遵守が入っているんです。全国には1741市区町村がありますが、全国で広島市だけが憲法遵守が入ってないのではないかというふうに思われます。極めて異常なことが、もう40年も続いてきた。この憲法99条の義務を負わない人は、公務員にはならないわけですよ。市役所の職員など一番最初のところで、憲法を守る、主権者は市民である、民主主義を尊重し人権を守る、公務員は全体の奉仕者である。こういうことをしっかりと身につけ自覚し守る、ということを固く誓う。憲法の精神ではなくて、憲法そのものを守ると誓わせることが必要なわけですよ。
これを誓わなければ公務に就かせるわけにはいかないんです。どういう熟慮をされたかわかりませんけれども、40年前、当時の荒木市長が行われた判断は私は誤りだったと思います。その後の平岡市長も秋葉市長も是正されなかったのは、これは問題があったというふうに思うんです。ですから、先ほど検討されるというふうな答弁でしたから、これはぜひ検討していただいて、この公務員としての自覚、これは何よりも憲法そのものを学ぶというところにあるわけですから、ここをしっかり使わせていただきたいということを、これはお願いをしておきます。
それから、パールハーバーの問題ですが、インターネットでパールハーバー国立記念公園と、「公園」の文字を入れて、いくら検索しても出てきません。パールハーバー記念公園という施設はないからです。
市のホームページにある協定文では、英語版で見ると、パールハーバーの方は正式名称も略称もあくまで「パールハーバーメモリアル」で、決してパークの単語はないのに、あえて日本語版だけ正式名称も略称も「公園」という言葉が使われております。公園協定とすると、そのためのごまかしになっているんじゃないのかと思うわけです。アリゾナ記念館には説明看板があって、そこに英語と日本語中国語、韓国語で書かれたものがあります。
英語では、アリゾナ記念碑は、a place of honor, respect and contemplation。発音はどうかわかりませんけれども、アリゾナ記念館は、名誉と尊敬、熟考の場ですと、こういうふうに書かれています。中国語とハングルは、ほぼ英語と同趣旨のことが書いてあると思います。ところが日本語ではアリゾナ記念碑は戦死者を追悼し、命の尊さを学び、戦争と平和を考える場です、と日本語だけ違う説明になっているんです。これも、要は日本人だけをごまかすものになっているんじゃないか、こんなふうな疑問も湧いてまいります。
先ほど述べましたように、市民社会同士の交流はずっと行われてきたわけです。核抑止論の大元のアメリカ政府を初め、核保有国政府は世界の市民社会が世論で包囲していくしかないんだと思います。先ほど述べられたオバマさんも、結局何もしてこなかったじゃないですか。広島を訪問しただけ。プラハで演説をされてましたけども、それで平和賞をもらいましたけれども、結局何もされなかったんですよ、彼は。アメリカの責任者として結局何もしてこなかった。これが実態じゃないですか。それが今のアメリカ合衆国の政府の姿ですよ。
この市民社会、世界で発展してきた市民社会の力、これが今大きな力に発展し、実は国際社会でも力を発揮しております。核兵器禁止条約に国連加盟国の3分の2が賛成し、署名国はもう半数に近づいてきておりますが、そのことがこのことを示していると思います。
それはやはり着実にアメリカ国民にも影響を与えているんじゃないでしょうか。この世界の市民社会の世論、ここにこそ、広島市の平和行政は依拠するべきだと思います。
ところが、前提として考えなければいけない原爆投下責任の議論もせず、アメリカの政府と和解する、こんなことはあり得ないことだというふうに思います。
それは、繰り返しますが、アメリカのごまかしに乗ってしまうことだ。これはアメリカの方から、この問題を働きかけてきた。ここに端的に示されているんじゃないかというふうに思うんです。これは、今の松井市政の私は失態だというふうに思っております。
改めて、この被爆者市民に相談もせずこんなことを決めた。こういうことを謝罪をし、撤回に向けた議論を進めるべきだと思いますし、少なくとも、アメリカには原爆投下責任があるということをはっきりと声明をし、もう5年後は延長しないということを宣言するべきじゃないかと思います。再答弁を求めます。
(大きな拍手が起こる。議長:傍聴者に申し上げます。お静かにお願いします)
企画総務局長:
中森議員からの2点のご質問にお答えいたします。はじめに、今回の職員の研修の教材が、教育勅語でなければならないのかというご質問についてです。先ほど市長がご答弁しました通り、市長は公職にある立場にある者として、今回のような教育勅語のような様々な意見がある物事への対処を職員が考えていく上での教材として適切と考えて選んだものというふうに考えております。
そして、次に、弁護士会の指摘について、このことについてどう受け止めているのかについてです。先ほど市長がご答弁申し上げましたが、教育勅語の使い方としましては、物事の見方、あるいは対応の仕方をトレーニングする材料として使っているにすぎません。別に教育勅語を広めようというような意思は全くございません。
そういう中で、市長先ほど申しましたが、こういったことについて、日本が国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とする国であり続け、また基礎自治体としてそれを実践していくために、こういったことを職員に身につけてほしい。そして、これは市長が先ほど申しましたが、様々な意見がある物事については、これを画一的に捉えて良い悪いと判断するのではなく、歴史的な事実を知った上で、全体像を多面的に捉え、対応することが大切であるということを、公務員としての心構え、心の持ち方を市職員を指揮する立場として、また人生の先輩として我々職員に繋いでいると、そういう考えのものですので、弁護士会の指摘は当たらないというふうに考えています。以上です。
市民局長:
パールハーバーに関する再質問をいただきました。まず、公園ではないというご指摘がございましたけれども、これは日本語で、英語と日本語の訳が違うということは確かにそうなんですが、今回の協定がですね、公園協定ということ、パールハーバー国立記念公園との公園協定というアメリカ側のそのスキームなんですが、そういった公園同士の協定ということで便宜上公園ということを言葉を使っております。
それから、原爆投下責任についてでございますが、先ほどもご答弁申し上げました通り、原爆投下への謝罪あるいは責任につきましては、関係者間で対話し、議論を深める中で対処しうるものと考えていることから、まずは姉妹公園協定に基づき、とりわけ若者を中心とする相互訪問の実施などにより、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという米国側の市民社会における機運の醸成を、しっかりと図ってまいりたいと考えています。
それから5年後に協定を締結しないと、明言すべきではないかということですが、本市としましては、9月議会でもご答弁いたしましたが、今回の協定が平和と和解の架け橋としての役割を果たすことを目指し、まずは5年後の更新に向けて、未来志向に立ち、和解の精神を具現化した交流の実績を積み重ね、平和文化を市民社会に根づかせていきたいと考えています。以上です。
中森議員:
今おっしゃったように、市長もですね、憲法99条で枠をはめられた公務員の一人なんですよね。この答弁の中で、民主主義の課題について、これは民主主義の問題はお考えをお示しになりませんでしたけれども、結局、この勅語でなければいけないという説明にはなっていなかったんじゃないかなというふうに思っていますこれは、よくよく考えいただきたい。お辞めになるのが賢明だというふうに思います。
それから、このパールハーバーの問題はですね、先ほども言いましたように、やっぱりアメリカの側からなぜ働きかけてきたのか、エマニュエル日本大使のこともおっしゃいましたけれども、アメリカ国家としては、この核兵器廃絶についてはですね、全くやる気がない、そういうふうに見えます。
彼らがそういうふうなことを言いつつ、市民社会の交流なんていうこと自体、私はおかしいと思います。日本の市民も、それから広島の市民も、アメリカの市民とはですねずっと前から交流してきては和解はしてきているんですよ。お互いに話し合って。一緒に核兵器廃絶の問題にも取り組んできたんですよ。それに合わせて、アメリカとは和解協定をしてまで和解をしてまでですね。そんなことをする必要があるのかというふうに思います。これはかえって、やっぱりアメリカの意図になってしまうことになるんじゃないかというふうに思います。
そういう点では、5年後はですね、もう延長しない。5年後、これからそこへ向けてやっぱり広島の市民や、もう被爆者の皆さん、そんなにおられないかもしれないけれども、被爆90周年は被爆者にとってはないというふうなことも聞かれますけれどもね。
今、やっぱり相談をしておく話をしておく。そういうことが必要ではないかと思いますので、この点も要望しておきます。以上です。
市民局長:
今、中森議員がおっしゃった、なぜアメリカがエマニュエル大使の方から提携を申し入れてきたかということですが、これに関しましては今回初めてということではなくて、2017年にもですね、塗る日広島県人会の大会長であるウェイン・ミヤオさんからも、以前ご提案をいただいておりました。これは全く本当に政府と関係なく、申し入れをされたと理解しております。
それからアメリカ合衆国の方で核兵器廃絶をやりきれないとおっしゃった点についてですが、これは先ほど私が申し上げカーター、当時は広島にこられた際は現職ではございませんでしたけども、元大統領、それからオバマ大統領、それからバイデン大統領、広島来られまして、それぞれやっぱり核兵器廃絶への思いをですね、皆さんメッセージとして残されています。そういったことがですねやっぱり核廃絶に向かわないということはやはり市民社会においてそういった核兵器気鋭に対するですね、廃絶の機運がまだ醸成されていない。アメリカ国内においてもせ、全世界においても、そういった機運が醸成されてないということだと思っております。そういったこともございますので、そこを、国際情勢において本市の役割として、平和文化の振興、力強く取り組んでいくということが本市の役割だと考えております。以上です。