水になる。 【幼少期】


生まれは、父の故郷の橋本市。
3歳の頃、母の生まれ育った和歌山市に越してきた。

父の実家は、橋本の山の中にある。
高野山に続く七街道のひとつ、黒河道沿いの集落のうちの一軒だ。

中学に上がるまでまで、事あるごとに父について田舎に帰っていた。
とにかく、山の生活が楽しかったのだ。

お正月、春には田植え、夏休みには長期で戻り、
実りの秋は収穫。

山の生活は、冬の厳しい季節以外はいつも豊かさに溢れていた。
山を歩けば、手の届くところにいつも食べられるものが実っており、水は至るところから湧き出ている。
畑に行けば、育てた野菜や果物があり食べ放題。

山の中を駆け回り、腹が空いてもすぐに満たされるので、また駆け回る。
そんな生活がそこには常にあったのだ。

父の実家は百姓だったので、色々なことを教わった。
大工仕事や農作業はもちろん、身の回りのものなんかも自分達でつくる。

小さいながら「ワラジ」や「カゴ」なんかも編んだ記憶がある。 
当時は五右衛門風呂だったので、薪割りなんかも手伝ったりもした。

近くに玉川という川があり、魚釣りやバーベキューにもよく行った。
畑で採れたスイカを川で冷やし、スイカ割り。
火を起こして、釣った魚を焼いて食べる。
味付けなど何もしなくても美味しかった。

「川で魚を釣る時は、その川の中にいる虫を使うとたいてい釣れる。」
これも父から教わったことのひとつだ。

そのほかにも、 
「タケノコの芽の出ている場所をピンポイントで見つける方法」
「松茸の生えている場所と次の年もまた生えてくるように収穫する方法」
など。

今思えば、「自然の中で生きる知恵」のようなものを教わったように思う。  


街ではできない経験をたくさんした。

何もかもが、楽しかった。

それに、何よりも大好きだったのは、実家から見る「下の世界」だ。

家の裏手に回ると、橋本市内を一望できた。

家にピッタリとくっついて生える大きな杉の木があり、その木と一緒に見下ろす風景は、まさに「下界」という言葉がふさわしいようにおもう。

山に帰るのは、この景色を見るためでもあったのだ。



忘れることのできない風景。

私の「原点」は、間違いなくあの山にある。


※※※    この小説は、フィクションとノンヒィクションを織り交ぜています。  ※※※

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