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子なしの自分が、社会の子どもたちにできること—35過ぎて私の思うこと。

 妊娠や出産、子育てに興味がない——。そう気づいたのは27歳くらいのときだった。社会人になって早々にノートに書き出した、40歳ごろまでの未来年表には「32歳:第一子を産む」みたいに書いていたけれど。あのころは周囲を見て「自分も結婚したら子どもを産むのかな」と、特に深い考えもなく“なんとなく”考えていたのだろう。

 でも年齢を重ねるにつれて、自分ひとりのケアやメンテナンスをするだけで精いっぱいだし、家族はパートナーだけで十分だし、自分の胎内で人を育て、からだから出てきたあとも20年近く育てるなんて気が遠くなるし、誰かの人生に責任を持つ自信と覚悟はないし、命がけで行う妊娠や出産は怖いし、自分の遺伝子を未来に残したくないし、など、「持つべきではない理由」ばかりがクリアになってからは、「“自分の子ども”はいらない」と考えている。今もぶれることはない。

 代わりに、世の中にいる子どもたちを“社会の子どもたち”としてとらえ、いち大人としてできることをやっていこうと決めた。自分が子どもを産まなかったこと、産まないとかたく決めていることに負い目を感じているわけではなく、子を産み育てている人たち、複雑で残酷な現代社会で今を生きる子どもたちを純粋に応援したい気持ちがあるからだ。

 自分の周囲に「あなたは超人ですか」と驚くような人が何人もいる。たとえば、ひとり〜ふたりの子どもがいる、仕事が早くて細やかな気配りができる同業者が数人。ひとりの子どもがいる、夜勤のある多忙な仕事に従事する人が数人。他にも数え切れない。

 私なんて自分の面倒を見るだけで他には何もできないのに、この人たちは子どもという、自分の思い通りには動いてくれない、仕事よりも難しい存在と向き合って、さらに仕事でも成果を上げている。なんてことだろう。

 育児と仕事を並行して行うのは決して容易いことではなく、自身の身を休める時間を削っているんだろうとも想像するし、もう少し眠ってほしいとも勝手ながら思うし、社会構造自体が変わらなければ、親の負担は減らないという根本にも行き着く。

 地方で3人の子どもを育て、いろいろなパートを掛け持ちし、毎日温かい食事を用意し、東京の大学に進学させてくれた親を見ていたから、周りの親たちがハードな日常を送っていることは、簡単にイメージできるのだ。

 私にはそんなことはできないし、“その道”を選ばずに生きている。でも、何かサポートすることはできないか。恩送りのようなことができればいい。そこで最初に始めたのが、困難な家庭環境にある子どもたちを支援するプロジェクトへの寄付だった。毎月定額の5,000円が引き落とされるように設定している。小額であってもつづけることに意味があるから、持続可能な金額でとどめている。

 もうひとつ始めた取り組みは、「おすそ分け食堂・おまめ食堂」と称する、豆と野菜をベースにした食事を提供する子ども食堂。大食いな自分は料理をすると、どうしても多めに作りがちなのだけど、余剰分を近所の子どもたちや保護者に食べてもらえたら、という思いでスタートした。

 日々忙しいなかで家事に追われている人が、1ヶ月に一度くらいは料理を休んで、温かいお弁当を食べて、残った時間を自分自身や子どもとゆっくり過ごすひとときに充ててほしい、子どもにとっては食育になればいい、という願いがある。エゴで始めたことだけれど、毎回喜んでくれる親と子がいるから、役に立てて良かったと思っている。

 親や当時世話してくれた大人たちへの恩送り。同世代や世代の近い親たちへの応援。いずれも自分ができる範囲のささやかなアクションだけれど、社会の子どもたちにとって、人生にちょっとしたいい影響を与えるおばさんという立ち位置でありたい。

このコラムは最近読んで感銘を受けた『40過ぎてパリジェンヌの思うこと』の日本版を作りたいと思い立って書き始めたシリーズものです。


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