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体重計に乗らない代わりに

 初めて行った病院で体重計に乗っている間、硬く目を閉じて、顔を右側に捻っていた。看護師は気づいただろうか。私の「数字を見たくない、知りたくない」が行きすぎた対応に。半年ほど前に初診で行った産婦人科で「体重を測ります」と言われて、妊娠・出産関連で来院したわけではないのに、一体なぜ? と思うと同時に引き返したくなったけれど、30分以上待ったし薬が欲しいんだよなと思い直し、「体重なんて私の診察には関係ありませんよね?」「どうしても測らないといけませんか?」などと聞きたくなるのを堪えながら、渋々体重計に乗った。見なければいい、と考えた。どうか体重を読み上げないでください、と心の中で唱えた。
 1年半ほど体重を測っていなかった。最後に測ったのは前年の健康診断のときで、当時は「体重を見てショックを受けたくない」という理由で、2週間前からお酒とお菓子を控えた生活をしていて、5年ぶりくらい(その間は健康診断を受けずに過ごしてきた)に体重計に乗ったのだけれど、自分で気に入る数字だったのを覚えている。ただ、酒・甘いもの断ちが効いていたのかどうかは、2週間前の体重を知らないので不明だ。
 それくらい、体重について繊細な感覚というより、異様な執着心を持っているのは自覚している。年齢と同じで「ただの数字」「体脂肪率の方が重要な指標」なんて声もあり、それらも理解はできるけれど、やっぱり体重という数字は現実を突きつけ、数字次第では2〜3時間気持ちを萎えさせることもある。
 こんなに重たかったんだ、いつの間にこんな数字になったんだろう、薄々分かっちゃいたけど数字を知ってショック……というように。1日のうち、しかも起きている時間のうち2〜3時間なんてとても貴重だ。そんな大事な時間を体重のせいで(自分に原因があるのだが)、ずーんと落ち込んで過ごすのは避けたい。だから私はいつか何かの機会に買っていて、ほとんど乗ることもなくしまい込んでいた体重計を処分した。「欲しい」という人にジモティーで譲ったと思う。
 だから家で体重を測る習慣はないし、健康診断で測るとしても年一度なので、体重という数字を知らずに暮らしている。ただ、増減の具合を知る術はないわけではない。確かな数字は分からないけれど、肉がついたかどうかが分かる方法は用意している。
 ウエストがゴムではないパンツやスカートを穿く、それだけだ。2019年頃に一目惚れして買った「COLLAGE」のハイウエストのパンツは、あらゆるトップスに馴染むカーキ色で今も気に入っている。セレクトショップで購入した「RITA JEANS TOKYO」のスカートも、たまたまカーキ色。それらをときどき穿いてみて、ウエストがキツくないかをチェックする。
 多少キツければ、甘味を数日控えたり、晩酌を減らしたりと、ストレスにならない程度に食事をコントロールする。一方、着用した感覚に違和感がなければ、体型は変わっていない→体重はそう増えていないと判断し、普段通りの暮らしを続ける。それくらい、ゆるやかに過ごしている。
 時間は有限。だからできるだけ機嫌よく生きていたい。そう考えると、知らなくていいもの、知らなくても死なないことには触れず、心地よくありたいものである。

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今、こんな「生活」にまつわる文章を書き溜めています。Kindleで出すために。

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