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明るく元気で楽しくいれば、なんとかなる。唯一無二になるのを願うのはやめました。

「警察24時」なるテレビ番組を見ると興奮する。警察官と関わる機会がほとんどなく、職質をされた経験もなく、プライベートでの出会いもほぼなく、基本的には縁がない。大学の同期に警察官になった子がいるけれど、卒業後は交流することもなく、自分はこのまま警察官の仕事を見ずに生きていくのかなあ——昔からそうぼんやりと考えてきたから、余計に惹きつけられるのだろう。

昨夜、2月下旬に放送された「激録・警察密着24時!!」(テレビ東京)の録画を園子ファミリーと見ていた。某県で発生した、元カレが元カノと復縁したくて今カレを攻撃した的な色恋関連事件——元カレ・彼女・今カレ・お節介系(時にそういう人が助けてくれるのだが)中高年女性数名・警察官数名と登場人物が多かった——を見ながらファミリーがつぶやいた。

「別れた相手なのに、そこまで強い思いを持てるってすごいよね。むしろそこまで好きな人と出会って付き合えるのは幸せなのかも。自分は、別れた相手に復縁を迫るってそもそもないから」

そうね、私もないな(22歳のとき一度だけあるな、と思い出したけれど、昔の話過ぎること、時効だと判断したことから口にしなかった)。私はあっさりした返答をした後、続けた。

「(この元カレは)執着しているように見える。世界はもっと広いのに」

ファミリーは笑いながら言った。

「執着ってちょっと刺がある言い方だけど(笑)。まあ、園子さんは男に困ってないもんね」

なぜだかわからないけれど、ファミリーは私に「男が複数いる」という謎のイメージを抱いている。

私が困っている、困っていない云々はさておき、誰かとの関係が終わったとしても、なんとでもなると思っている節がある。周囲に「合いそうな人を紹介してください」と頼めば、必ず親切な誰かが紹介してくれるし、それによりご縁になったこともあるし、ナチュラルに出会うこともある。

ちょっとバカっぽい感じに聞こえるかもしれないけれど、“明るく・元気に・楽しく”過ごしていたら、ときに自然に、ときに不自然に、自分と合う出会いは舞い込んでくる。明るくて元気で楽しそうな人、というのは容姿とかその他の要素に関係なく、シンプルに良いものとして映るのだと思う。パワースポットみたいなイメージ、というとわかりやすいかな。

そう考えているので私は、健康的な外見、健康な心身を作ることには投資をしている。

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以前、自分が深く関わった相手の「唯一無二」になれたことがない、と書いたことがある。

書いてから7ヶ月ほど経つ間に、状況や生活が変わり、考え方も変化した。「唯一無二になりたい」「唯一無二になれない」といったことを考えなくなったのだ。

パートナーシップを結んだ相手が唯一無二かどうかなんて、人生の幕が下りる頃、ようやくわかるのではないか。いや、最期にそんな余裕なんてないか。

「最中」には判断しようがないことなのだと思う。相手を唯一無二だと思いたいなら、この人が唯一無二なんだと“信じる”しかない。そこに他者との比較はあってもなくても良くて、何かのタイミングや縁、運によって出会い、特別な関係になった相手を唯一無二の存在なんだ、と認知するしかないのだと。

これに関しては、自分が悶々としていても仕方がない。相手が決めることだから。

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現時点では、「相手の唯一無二になりたい」とは願わなくなったわけで、自分自身も目の前の相手を「唯一無二だ」とは思わない。だって、そのときにはわからないから。

出会って親しくなっていった当時、他者よりも惹かれる存在だったことは確かで、とりわけ大事ではあるけれど、人生のいろいろなことはタイミングや縁、運に大きく左右されている。後になって、さらに特別な存在と出会う可能性だって大いにある(そのときにどう決断するかは自分次第ではあるけれども)。

ただ、唯一無二だとまでは思わなくても、「特別に大事だ」という感覚は持ち続けたい。

主体的に生きて、主体的に愛すために。

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