見出し画像

人は変わるし、変わらない—35過ぎて私の思うこと。

 「ずっとあなたの味方だから」。20代後半と30代前半に一度ずつ、そんなふうに言われたことがあるけれど、発した人は今や「そんなこと言ったっけ?」状態だと思う。ひとりは刺を感じる物言いをしつづける(ずっとそうだから慣れたつもりでいたけれども、相変わらず「もう、何なのよ〜! もっと言い方あるでしょ!?」と、ムキーッとする私も器が小さい)し、ひとりは「どこかへ消えてしまった」に近い。

 どちらも他の人々と比べてはるかに密にかかわっていたけれどもそんな具合だから、人は簡単に掌返しをするし、私だって自分のことは棚に上げて無意識に、同じようなことを小さくやっているのだろうし、と思うと「人は変わる」を前提にしておく方がいいだろう。

 変わるのは悪いことではなく、むしろ自然なこと。この世に変わらないものはなくて、人も毎日毎分毎秒さまざまな物事や刺激、平穏と接するうちに、感性や思考、立場などあらゆる要素が変化していくのはあたりまえなのだから。人は変わっていくから面白くなるし、深みも出てくる。

 一方で、人は変わらない。先ほど「〜物言いをしつづける」と書いたように、継続されるくせやふるまいというのはある。これは本人の性質・個性だと考えると、外野が否定していいものではないから、こちらが「変えてほしい」と願い出るのも筋違い。「私はそういう言い方をされると傷つくし、いやな気持ちになる」と「自分がどう感じたか」を伝えることしか許されないとも思う。

 人の変わらない部分が、接する自分にとってしんどく、心の負荷になっているとしたら、自分が変わることで対処するしかない。人の変わらない部分を「変わってほしい」と願うのは意味がないから、自ら動いて状況を変えることが何よりの改善策になる。

 物理的に離れること、切ることができない関係性ならば、心の距離は確保しておく、というように。「この人がこういう言い方をするのは個性だから仕方がない。でも、私は不愉快に感じる。だから、私の心は開放しない。最低限のやりとりをして、コンパクトにかかわろう」。冷静さを保って、自分に言い聞かせる。

 変わるところ、変わらないところ。その両面があるから人は複雑で興味深い。そうとらえて見てみると、どんな相手であろうと、たとえベースに「面倒くさいなあ」「困ったなあ」みたいなネガティブな感情があっても、「可笑しいな」とくすっとできる要素を見出せる気がする。

 パートナーや友人知人をはじめとする自ら主体的に選択できる、心身が穏やかになれる関係の人々“だけ”に囲まれた世界は居心地がよく、快適なものだろうか。そんな世界に住む機会がないからわからない。しかし、そうではない現実に身を置くなら、無闇にすり減らないように、自分の心を守りながら生きていこう。人は変わるし、変わらない——そんな前提を抱えて向き合いたいと思う。

このコラムは最近読んで感銘を受けた『40過ぎてパリジェンヌの思うこと』の日本版を作りたいと思い立って書き始めたシリーズものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?