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高校教師・高橋薫の証言 【小説】どの顔もあの女#21

 高梨真矢さん……蒼山高校の20期生、ですね。えっと、ああ、覚えています。2年生になってから、毎日昼休みになるとパソコンルームに来ていました。50分近く、パソコンと向き合って、創作活動をしていましたね。
 当時、パソコンを30台ほど置いた部屋があったんです。1年生から3年生まで全員、パソコンの授業が週1回あったんですね。私はそれを担当する教師でした。
 蒼山高校は文武両道を目指す学校で、運動部が盛んな高校です。インターハイに出場するような選手もたくさんいます。それでいて勉強も疎かにしないので、東大や京大、早慶への進学率も県内で一番高い県立高校なんです。
 そんなわけで基本的に多くの学生は運動部に所属しますし、放課後は部活に精を出すんですね。だから、部活に所属しない高梨さんは少数派でした。
 休み時間にパソコンルームに来る生徒自体、ほとんどいなかったと言ってもいいと思います。各クラスにひとりいるかいないか。しかも、高梨さんのように毎日来る生徒はいませんでした。

 当時、私と高梨さんはたくさん会話を交わしたわけではありません。いつも「こんにちは」と挨拶して入ってきて、すぐにパソコンに向かうんです。私は私で自分の作業や授業の準備をしていて、お互い存在を気にしていない感じ。部屋では音楽なんかもかけていないので、静かな時間が流れています。時計の音くらいしかありません。
 昼休みが終わる7〜8分前になると、パソコンをシャットダウンし、「失礼します」と言って去っていくのが恒例でした。とても真面目な生徒だったと思います。だから毎日几帳面に7〜8分前には必ずパソコンを終了して、余裕を持って教室に戻っていたようです。
 ときどきは話をしました。高梨さんは小説を書いていたのですが、進み具合が良いときは「今日は◯ページ書けました」と報告してくるんです。完成したものは読ませてもらうことが多かったですね。「お忙しいと思いますが、お時間のあるときに先生、読んでいただけませんか?」と丁寧な言葉で言われました。
 生徒が書いた小説を読む機会なんて滅多にないですし、頼りにされるのは嬉しかったので、もちろん読ませてもらって、口頭で感想を伝えていましたね。
 ずいぶんと大人っぽい内容の話が多かったです。友達募集掲示板で出会った男の子と文通友達になって、手紙のやりとりのなかでは付き合っているような、とても親密な関係になったけれど、結局会うことなく恋を終わらせた話とか、新聞への投書を通じて出会った20代男性に拉致されかけてサバイブする話とか。
 設定や描写があまりに細かいので、ほぼ実体験をベースにしているのかな、と感じた記憶があります。恋愛とか性愛のシーンは想像や理想が入り混じっている印象を受けました。まだ17歳そこらの女子生徒ですから、そこがチープになるのは仕方ないですよね。ただ、妙なこだわりというか、がんばって描こうとしている、という感じは出ていました。

 卒業前に「先生のメールアドレス教えてください」と言われて、大学時代はメール交換をときどきしていましたね。近況を伝えてくるだけのときと、新作を添付してくるときがありました。
 嬉しかったですよ。高校を出て地元を離れても、通常は1週間に1度しか授業で会わない教師のことをいつまでも覚えてくれていたわけですから。まあ、高梨さんとは平日は毎日会っていたので、ある意味で特別な関係だったとも言えますけどね。
 社会人になって1年経たないうちに、メールはさっぱり来なくなりました。IT系の会社に勤め始めて、仕事は大変だけどがんばっているとか、いつか職場での女性同士のバトルを小説にしたいとか、そういう話をしたのが最後でした。私の教師人生のなかで、最も印象に残っている生徒です。

 高梨さんが借りていた部屋には、大量の小説原稿が残っていたと聞きました。まだ未発表のものもたくさんあったとか……。それより、彼女が小説家デビューしていたこと、私は最近まで知りませんでした。もし知っていたら、すぐに読んで感想を送って、何か事態を変えられたかもしれないのに、と悔やむ気持ちしかありません。


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