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恵比寿の男

 どこにでもいるような3人家族が目白駅から乗り込んできた。少し長めな黒髪で色白、眼鏡をかけたパパ、肩につくくらいのふわっとした茶髪ボブで、華奢な体型のママ、ベビーカーには黒髪がまばらに生えている、切れ長一重の女の子。確実にあのパパの子だ。ママはくっきりした二重に見える。
 平凡な家族だけど、幸せオーラがはんぱない家族。たぶん同世代か。かたや3人家族、かたや独り身の33歳女。
 ママがパパに何か話しかける。パパはママを見つめて、ふっと微笑んだ。ゆるやかな空気感はふたりの間に平穏な日々が流れていることを想像させた。安定感のある関係に羨ましさしかない。
 1年前にセフレ5人を「男捨離」してから、恋愛周りはご無沙汰というか、全然ツイてない。出会いはあってもピンとくるものがひとつもないのだ。
 セフレは5人中4人が既婚者だったから、バチが当たったのだと思う。人のモノに手を出すなんて良くないに決まっている。2年半くらいセフレたちを数人確保して、都合のいいときにそれぞれと会う生活をしてきた。ある者は月に1回、ある者は半年に1回など、人によって会う頻度は違った。あと1年半くらい、呪いは解けないに違いない。ため息を吐いた。

 街を歩くと似たような人は大勢いると断言してもいい、目立った特徴のないパパ。でも、どこかで見たことがあるような……。なぜか引っかかる。
 私の視線を感じたのかパパと目が合う。一瞬見つめ合うが、パパは何もなかったかのように、すぐに目をそらした。あ、Nさんだ。間違いない。
 あのときNさんと付き合っていたら、そしてどれくらいの確率かわからないけれど、交際が順調に続いたとしたら、私がママだったのかもしれない――。月並みな幸せを手に入れていたのかもしれない。穏やかな日常を楽しんでいたのかもしれない。そうすればセフレを5人も確保することはなかっただろうし、30代になって恋愛に悶々とすることもなかっただろう。
 人は「もし、あのとき、ああしていたら」と、選ばなかった人生を想像することがある。今とは異なる未来を想像することがある。現実とそれとを比較したところで、どうしようもないのに、思いを馳せてしまうのだから不思議だ。
 恵比寿駅で家族は下車した。電車が走り始めると、再びパパの顔が見えた。Nさんと最後に会ったのも恵比寿だった。

 大学4年生の後半、暇を持て余していた。就職先は決まり、単位も取り終わり、サークルも引退し、バイトしかやることがない。
 合コンには積極的に参加していた。大学2年から1年付き合った彼氏とも別れ、寂しさを紛らわせたかった。だからといって、自ら幹事はしないが、誘われたら断らない。Nさんと出会ったのは、夏の終わりに開かれた合コンだった。
「梓、来週の金曜夜、あいてない?」
 週末、サークル仲間の絵美からメールが届いた。絵美はやたらと顔が広くて、つてを持っている。
「あいてるよ。もしかして合コン?」
 絵美からのメールに即レスする。
「そう。メンズはO商事子会社の人。商事本体じゃなくて残念だけど、悪くはないと思うんだよね」
 当時、商社勤務のサラリーマンは、女子大生にとって「優良物件」以外の何者でもなかった。商社の子会社となると、女子の中ではランクが落ちる。男性たちには失礼極まりない話だが、女子たちの間では「えー、子会社? テンション下がるなぁ」といったやりとりが繰り広げられていた。案の定、絵美も「本体ではなくて残念」と嘆いたが、最後にポジティブな情報を付け加えた。
「年齢は26歳。4歳上ね。年齢的にはちょうどよくない?」
 確かに、と返事をする。3カ月ほど前、男性陣はひとりが30代前半、残り3人は40代の独身者と既婚者で構成されるという、地獄絵図のような合コンに絵美と参加したのを思い出した。それよりはるかにいい。若者というだけで十分だ。しばらく合コンの予定はなかったから参加することに決めた。

 新宿のイタリアンで男女が3対3で向き合う。女子は絵美と由佳と私。全員サークル仲間だ。男性陣はO商事プラスチックに勤める、入社4年目の同期だという。名刺をもらって何をしているのか聞くと、事業は合成樹脂原料・製品販売だと説明されたが、正直イメージがわかない。
 男性3人は全員、派手・普通・地味のどこかに分類するなら、普通と地味の間か地味ゾーンに含まれるメンツだった。華やかさは皆無で、女性慣れしていないようにも見える。面白味はないが真面目そうで、悪い人たちではない、といった感じ。
 赤外線通信で全員と連絡先を交換し、会はお開きになった。可もなく不可もない合コンというのは案外珍しいかもしれない。既婚のオッサンが乱入したり、年代に関係なく参加者の男が触ってきたり、イチャイチャしてきたりと、不快な気持ちになる合コンも多々通り過ぎてきたため、穏やかな合コンはむしろ悪くなかった。でも、収穫はない。
 帰る方向が一緒の由佳と中央線に乗る。金夜だけに混み合っていて、車内は若干酒臭い。
「梓、今日の合コン、正直どう思った?」
 由佳は今片想いの相手がいる。本人いわく「脈がない」とのことで、他の相手を探すために今日の合コンに参戦したのだった。
「私はないかなぁ。いい人たちだけど、いまいち華がないっていうか……。男性陣には失礼だけど」
「わかる。地味だよね。付き合って楽しいのかな、って正直思う。あとEさん、絶対に童貞だよ」
 一度会っただけの男性を童貞だと決めつける由佳。Eさんが可哀想だなと感じたが、若干挙動不審気味で、声が高かった彼のことを思い出すと、わからなくもないと思った。
「童貞かぁ。私、そんなに経験豊富じゃないから、童貞じゃない人のほうがいいな。リードされたい、っていうか」
「となると、梓はEさんとは付き合えないね」
 由佳はくすくすと笑い、続けた。
「でも、Nさんはあのなかだとまぁまぁいいんじゃない?」
「Nさん?」
 色白、黒髪、長めの前髪が黒縁眼鏡にかかっているNさんを思い出す。どこにでもいそうなあまり特徴のない外見。でも、「あの人」に似ていた。というか、その要素がどこかにあった。
「Nさんってさ、塚本高史をちょっと崩した感じがしない?」
 イケメン俳優として知られる人物の名前を挙げると、由佳はぷっと吹き出した。
「ないないない〜! ちょっと待って。梓、だいぶ美化してるから」
「だから、崩した感じ、って言ってるじゃん」
 そこまでウケるとは思わなかったが、由佳はアルコールが入っていてテンションが高めなのか、いつまでも笑い転げている。
「Nさん、梓のことわりと気に入ってると思うよ。そんな感じがした。メールしてみたら?」
 笑いが収まった後、由佳に言われた言葉が頭に残っていて、翌朝Nさんにごちそうになったお礼のメールを送った。

 合コンから6日後、Nさんと恵比寿の「ニャーヴェトナム 本店」で食事をした。「何が食べたい?」と聞かれて、「エスニック料理がいいです」と希望すると、Nさんがチョイスしたのはベトナム料理だった。なかなかスマートな選択だと思う。
「Nさん、ベトナム行ったことありますか?」
 白身魚と野菜の生春巻きを食べながら尋ねる。淡白な白身魚とピリ辛なタレの相性は抜群だと思う。
「まだないんだよね。でも、いつか行きたいと思ってる場所だよ。梓ちゃんは旅行好きなの?」
「好きなんですけど、海外だとまだ韓国にしか行ったことがなくて」
 年明けに女友だちとふたりでフランス・イタリアを卒業旅行するのだと伝えると、Nさんは細い目をさらに細めて、穏やかな表情で言う。
「エッフェル塔、いいなぁ。僕もあれ見たいんだよね」
 こちらの質問に返してくれるし、質問を振ってくれるけれど、いまいち話が広がらないNさん。間違いなくいい人だ。ただ、自分の素を少しもさらけ出せずにいる。
 お酒が適度に入ったら年上男性に対して、「オジサーン!」「ちょっと、なに言ってんのー!?」みたいに軽口を叩けるタイプだ。ふざけるのも好き。でも、Nさんに対してはなぜか、そんなふうに振る舞えない。
 普段ならギャハハと豪快に爆笑するシーンでも、「あはは」「ふふふ」というおとなしい笑いしか出てこない。「ギャハハ」が出せない。Nさんは全然怖い人ではないけれど、なぜか本来の自分を出せずにいた。その証拠にずっと丁寧語で話している。
 バインセオ、青菜炒め、海老のココナッツ蒸し、やきとり、ベトナムチャーハン……と肉に魚、米のフルコースを堪能したあと、Nさんが「デザート食べる?」とメニューを手渡してくれた。
 一瞬だけキュンとする。最後にデザートを食べるかどうか確認してくれる男性に、「大人」を感じるのと同時に「女の子」扱いされることへのくすぐったさも感じる。同い年の男子と食事にいっても、ほとんどの場合、そんなことは聞かれない。合コンで出会った社会人男性のなかにも、それを聞いてくれる20代もいれば、聞いてくれない30〜40代もいる。
 自分ひとりだけで勝手に注文を決めてしまう人間もいる。Nさんはメールでの「何食べたい?」から始まり、メニュー表を一緒に眺めながら「食べたいものがあったら言ってね」と最初に言い、「これなんてどう? パクチー食べれるかな?」と自分の食べたいものも適宜提案してくれるから、いい人だと思う。
 ベトナムのローカルスイーツ「チェー」が運ばれてきた。豆や米、芋を甘く似たもので、この店の「チェーチュオイ」には熟したバナナを煮たものが入っている。香辛料がキツめのものをいくつも食べてきたからか、この激甘スイーツで口の中が癒やされる。
「嬉しそうに食べるね。そういうのいいよ」
 無意識に微笑みながらチェーを食べていたらしく、正面に座るNさんが私を見て笑っている。前に合コンで出会った40代半ばのオッサンと食事にいったときも、同じようなタイミングで「幸せそうな顔して食べるね。いいね」と言われたのを思い出した。

 Nさんとは平日夜の食事デートを重ねていた。2回目は新宿にある地鶏が売りの個室居酒屋、3回目は浜松町にある焼肉店。Nさんは都度、私に「食べたいもの」を聞いて、店を予約してくれた。
 会計も毎回もってくれた。4歳しか離れていないけれど、社会人と学生の差は大きい。それでもなんだか申し訳ない気がして、自分も3割くらい負担したほうがいいのではないかと、毎回いたたまれない気持ちになるのは、なぜ自分はNさんと会うのか、Nさんは自分と会うのか、よくわからなくなっていたからだ。
 2週間に1度くらいのペースでNさんと会っていたが、再会から30分はぎこちない時間が流れる。
 一通り注文し、料理が続々と出てきてから、
「美味しいですね」
「美味しいね」
「これ、いいですね」
「いいね」
「これ、頼んで良かったです」
「頼んで良かったよね。美味しい」
 こんな会話で終始する。Nさんはオウム返しの術を多く使う。場が少しずつ温まって、話しやすい空気が醸成されてから、いつもの調子に戻っていくわけだが、居心地の悪さを感じることに変わりはない。
 はしゃぐことも、大笑いすることもなく、まったく別の自分を演じているような感覚があった。あるいは本来の自分が肉体から抜け出て、上から見ず知らずのおとなしい女を眺めているような感覚。奇妙だった。

 4回目のデートは恵比寿の和食店「玖温」。西口の一軒家カフェ「ark」横の階段を上った高台にひっそりと佇む隠れ家的な店を前に、気持ちが盛り上がった。今日は楽しもう。Nさんとの時間を楽しもう。こんな素敵な店だし、Nさんもいい人だし。自分に言い聞かせる。
 オープンキッチンを一望できるカウンターに案内され、3分ほど待ったころにNさんがやってきた。額にうっすらと汗をかいていて、前髪が張り付いている。
「Nさん、急いで来ました?」
「うん。遅れちゃってごめんね。恵比寿駅からちょっと小走りに来た」
 仕事をしているのだから、少しくらい遅れたっていいのに、時間を厳守しようと走ってくるような真面目な人。暇な学生なのだから、そんなに気を使ってくれなくてもいいのに。どこまでもいい人なのだ。
 しっとりした粋な空間。22歳の私には場違いかもしれないけれど、女性は年上男性と関わることで、「顔じゃない」場所に連れていかれることは多々ある。
 鮎といちじくの組み合わせには「こんな料理初めて」と笑顔が出た。赤身肉とさつま芋、里芋の組み合わせには「これ、最高ですね。肉も芋も大好きです」と感動を伝えた。Nさんはその度に「いいね。美味しいね」とニコニコする。それ以外の会話はぶつ切りで、まったく弾まない。
 外で待っててとNさんに言われ、店の前の道路に出た。今日も自分の持ち味を出せなかった。縮こまっていたと思う。自分を崩すというか、本来の自分として振る舞うことができなかった。素敵すぎて緊張しているとか、恋愛感情があって意識しているとか、Nさんはそういう相手ではないというのに。ただ、何だかうまいこと運ばないし、気詰まりな時間が過ぎていくばかり。
 気持ちいいくらいにテンポよく会話が進んでいく人がいる。それに準ずる人もいる。でも、Nさんはそうではない。私とは何かがズレていて、2本の線が平行に伸びて、いっこうに交わることがないような気がした。

「お待たせ」
 Nさんがコートのボタンを留めながら降りてくる。
「あの、Nさん。私、目黒駅まで歩きたいです。たくさん食べたから、ちょっと体動かしたくて」
 自分の口からそんな提案が出たことに我ながら驚いた。でも、食事デート以外の場なら、Nさんの別の面を見られるかもしれない。散歩をしたら楽しめるかもしれない。そんな期待感がわずかながらあった。試してみようと思った。
「いいね。ガーデンプレイスのイルミネーション、今やってるよね。ついでに見てみよう」
 線路沿いに東口方面へ向かって歩く。
「お腹いっぱいです。美味しかった……」
「お腹いっぱいだよね。美味しかったなぁ」
 会話術の本なんかには、「相手の言ったことを繰り返す」テクが掲載されているけれども、ここまでオウム返しが多すぎると不自然な感じすらある。
 
 ガーデンプレイスには人が大勢いた。毎年11月から展示されるバカラのシャンデリア周辺には、椅子に座るカップル、ケータイのカメラで写真を撮るおじさん、佇む若い女性らがたくさんいて、皆思い思いに煌く光の装飾を眺めていた。
「シャンデリア、きれいですね。みんな癒されてるのかな」
「きれいだね。癒されてるね」
 最後までオウム返しだった。
 目黒駅までNさんと黙々と歩いた。11月だというのに、異常なほど生ぬるい風が吹き、途中でコートを脱いだ。キャミソールが汗で肌に張り付いているのを感じる。Nさんはコートを脱がずに歩き続けた。互いの家が逆方向にある私たちは目黒駅のホームで別れた。
「Nさん、今日もありがとうございました」
 頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ。じゃあ、気をつけてね」
 先にNさんの乗る電車が入ってきた。乗り込んでからニコッと笑って、顎の下で軽く手を振るNさんを見送る。

 以来、Nさんと会うことはなかった。お礼のメールを送った後、Nさんからも返事が来たが、その後私からアクションを起こさなかった。Nさんも誘ってくることはなかった。結局、何度会おうと、地を出せないことが窮屈でならない。この思いは変わらなかった。
 世の中にはいろいろな人がいる。それぞれ育ってきた背景も、持っている価値観も、考え方も違う。合う・合わないはどうしても出てくる。社会に出て年を重ねるにつれ、「そういうものだよな」とわかってきた。諦めもつくようになったし、合わない人と無理に会うこともしなくなった。あのときNさんも私に「合わない」と感じていたのだと思う。ただ、いい人だから、私の「ごはん行きませんか?」を一度も断らなかったし、2回目と4回目の食事はNさんから誘ってくれた。
 でも、それが本意だったのかは疑問だ。自分から「切る」ことはできないと思い、誘ってくれたのかもしれない。誘われたから自分も誘わなければ、と馬鹿真面目に考えたのかもしれない。
 優柔不断といい人は違う。相手を傷つけることを恐れて行動しない人といい人は違う。Nさんははたして本当の意味でいい人だったのか。わからないけれど、妻を見てにっこり笑ったNさんの表情は11年前と変わらなくて、やっぱりいい人であってほしいと願った。

【作中に登場したお店】

ニャーヴェトナム 本店
https://retty.me/area/PRE13/ARE7/SUB701/100000009502/
玖温
https://retty.me/area/PRE13/ARE7/SUB701/100000000880/


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