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愛ある仕事だけを選ぶ

「なぜこのプロジェクトはうまくいかないんだろう? 永遠に終わらない気がする。病む」

仕事をしていると「終わらない案件はない」が原則なのに、“悪い意味で”終わらない案件という例外がこの世に存在するのか? と発狂しかけた。原則があれば例外があるから、それが負の方向に行きすぎたパターンだ。

リアルに病んだようで、それに関する通知が来るたびに大なり小なりネガティブな感情を抱き、ピルを飲んでいるのに消退出血の時期が狂って不正出血が起きて生理不順になり、肌が荒れ、気分は塞ぎというように、ギャラ以外いいこと一切なしの日々を送ったことがある。

ギャラ自体も額面的には良くても、稼働量を考えると全然足りないといっていい。一部未払いすら起きた。

一体何を誤って、一般的に4ヶ月程度、かかっても半年で手放れする内容が、1年もずるずると続いていたのか。

いつ止まるか、再開するか分からない不正出血の現象を思わせる悪夢でしかなかった。

半年ほど経つ頃、そして1年が経つ前にも「一体なぜ?」と考えた。

何度考えても答えは変わらない。「そこに愛はなかったから」。これに尽きる。

関わっていた人々は一部を除き、私の主観で見る限り、愛がないようだった。愛があれば、ああいう言動はしない。それくらいは分かる。

しかし、他人のことは言えない。私自身も愛を持たずに仕事をしていた。

依頼を受けたときから、率直に言うと、愛はなかった。「私ができること・私の能力が要素として必要とされたから」という理由で、引き受けることにした。

「必要としてもらってありがたい」「自分の知見を生かして精一杯取り組もう」。ただ、それだけ。

受けた仕事に対するマインドとして、もちろん手抜きするつもりはない。各連携先とやりとりしながら進行管理をし、自分の役割をまっとうして、いいモノをつくる。そんな意思は一貫してあった。

しかし、それに関わる期間が奇妙なほどに長引き、健康な私が珍しく心身に不調をきたし、そのストレスと予想外に延びた稼働期間によって、ほかのプロジェクトにも目には見えない悪影響が及んだ。

既存案件に関する収入・評価面において直接的なダメージを喰らった、ということはなくても、自分自身が疲弊し切ってしまい、もうギャラはいらないから手放したいと初めて願ったほどだった。

何より、既存の大事にしているプロジェクト、それに関わる大切な人たちに、自分のリソースの多くを割けないことが苦しく、辛くてならなかった。

そんな痛い経験や一時期受けていたコーチング、読んだ本などから決意したことがある。

「愛のない仕事はしない」「愛を持った人々と仕事をする」「自分が愛を持っているなと確信できる仕事を選ぶ」の3つ。

愛を具体的にいうと「この“人”や“組織”が好き」という気持ち。大なり小なり愛さえあれば、手放したいなどと心の底から後悔することなんてない。愛ある仕事にリソースを投資するのはヘルシーでしかない。

振り返ってみてもそうだった。その仕事に関わる人や組織、あるいはプロダクトやサービスに愛を持っていたならば、仕事はうまく回っていったし、別の新たな仕事にもつながっていくなど、幸福な発展があった。

「自分にはそのスキルがあるから、その仕事を受ける」「ギャラがそこそこいいから担当する」という発想はもう持っていない。

選定基準は「その仕事に愛を持てるかどうか」だけ。シンプルかつ本質的で、これがイエスなら関わる人たちを幸せにできる自信がある。もちろん、自分も満たされる。

情けないことに、仕事と愛の関係について気づいたのはずいぶん遅かったけれど、気づいて行動変容し始めた瞬間が一番若いわけだから、希望しかない。

Text / 池田園子

【関連本】『「私、ちゃんとしなきゃ」から卒業する本

この記事は池田園子が主宰するメディア「SAVOR LIFE」からの転載です。


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