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多様性は捉え方次第


子供でも知ってるダイバーシティ

高校生の娘も知っているフレーズ。
聞くと「多様性」と訳することはできてもその意味は「いろいろあるってことでしょ」という程度。
そういう私も、障害を持つ方やジェンダー方も同じ社会で仲良く生きていこう、のようなざっくりしたイメージでしか捉えていなかった。

web上の広辞苑では
いろいろ異なるさま。 異なるものの多いさま」
となっている。
何か期待してたんと違う気がする。。

ではダイバーシティーの和訳はというと
「人種・年齢・性別・能力・価値観などさまざまな違いを持った人々が組織や集団において共存している状態」
うん、なんかイメージと近くなってきた。


多様性ってぼんやりしてない?

私なりに多様性の意味を理解しようとするとき、
生物多様性」
とか
企業におけるダイバーシティ」
など
その人が知ろうとしているコミニティーやカテゴリーの枕詞をつけることが必要な気がしてきた。

多様性といってもどの世界での多様性なのか
ということをはっきりさせた方が現実的な理解につながりやすい。
ベースは
いろいろ異なるさま。 異なるものの多いさま。

なんだろうけど、漠然とし過ぎている。
そこで、いちばん身近であり実感できるのが
今の世の中における多様性」
のように思う。
表現的には何だかやっぱり漠然としているようにも思うけど。

それを比較的簡単に見聞きすることができるのはSNSじゃないだろうか。
現実世界の縮図。
赤ちゃんは発信できないし、
高齢者の発信は少ないから、
全てとはいえないけど。


世の中の構成員はバラエティに富んでいる

自分の属するコミュニティはいくつかあっても、その中で多様性を実感することが必ずあるとは限らない。
たまたま似た属性の人たちが集まるってこともあるかもしれないし。
留学したり、何か自分から意識的に動いたり発信しない限り
人種・年齢・性別・能力・価値観などさまざまな違いを持った人々が組織や集団において共存している状態
に出会う機会は少ないのかもしれない。

でも家に居ながらにして、それに触れることができるのがSNSではないだろうか。
正しく人がいろいろ異なっている様が窺える。

でもSNSって意外と閉じた世界。
推しが同じだから、思想が同じだから、趣味が同じだからって理由で集まるし、
芋づる式に更におんなじような人をオススメされたりするし。

つまり、自分で興味を持ってワンアクションはしないと多様性を知る入り口には立てない気がする。
そこまでして多様性なんて知らなくていい、
ということもあると思うけど、
知っておくと多少生きやすくなるんじゃないかと思ったりする。

そこで知る多様性とは、
自分の考えや捉え方では理解できない人や、
想像を超えるような生き方してる人や、
明らかにバズり目的のひとや、
挙げればキリがないけど
とにかく自分の脳内では考えられなかった人が
世の中にたくさんいるということだったりする。

そしてそれを紛れもない現実であると理解することなんじゃないかと思う。
多分すごくイヤな人もいると思うし、
ちょっと若者には荒行事になるかもしれないけど。

でも、それを踏まえることができたら、
自分の価値観や考えに近い人に出会えるって奇跡的なことなんだと思えたり、
いろんな人がいるのが当たり前と思えたり。
何かについてこの人はこう考えるけど、私は違うなって自己理解まで進んじゃったり。
もっと言うと、いろんな人がいる混沌とした世の中を面白いと思えたり。
まぁ、これは年の功かもしれないけど。
よい意味でスルーするというか、期待しなくなるっていうか。

私の考える
世の中(俗世間)の人の多様性を知る
ってことは、
とにかく人間関係が面倒な現代だからこそ
今より少し楽に生きれたりすることのひとつかもと思ったりする。



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