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建設的に「悩」んでみる。

「悩む」って、割と好きな行為。

最近何人かの人と話していて、私は「悩む」っていう言葉を、結構ポジティブな意味で使っているなーということに、気がついた。(でも、世間的にはネガティブなイメージもあると思うので、相手への伝え方・使い方には気をつけよ~と思ったのも、最近の気付きだった )

悩みにぶち当たったときは大抵、新しい視点を獲得できるとき。

「悩む」= 何かと何かの葛藤が自分の頭の中で起きているわけだから、それが何と何なのかということを、ちょっと考えてみる。

そうすると、そこには自分の価値観とか譲れない軸みたいなものが隠れてたりもすることもあるし、逆に自分の思い込みのフィルターがかかってることに気がついたり、相手側のフィルターに気づいたりすることが多々。

別にそれで認知を相手に無理に合わせるとか、相手に自分の視点に合わせてもらう必要はないと思ってるけど、でもそれぞれの観点の違いを把握しておくだけでも、なんか頭と感情の整理が付く。考えが”理解”できなかったとしても、”把握できる”だけでも、なんかちがう。(な、なんかが…違う。笑)

だから、深くあれこれ悩んで考えてみるのは、いろんな気づきがあってなんやかんや結構楽しい、体力使うけど。
自分なりの「悩み方」を知っておくと、悩みも案外おいしく楽しめる。

ただ、悩みにも質の良いものと質の悪いものはあると思う。後者に対峙しつづける意味は、ほぼほぼ、無い気がする。その人/状況に対峙してて、自分の精神が擦り減っていく感覚がある時・それに必ずしもこだわらなければならないという背景が無いのであれば、外的要因を変えることに力を注いだ方が良い。有限な人生の時間は、もっと大事なことに使った方が良い…!

ので、例外ありだけど。建設的な悩み方、、と言ったらいいのかな?  悩み方を工夫してみるのは、個人的にはめちゃめちゃおすすめというぼやきでした。

周りの人達との会話を通して最近気が付けた悩み方の暗黙知。良い環境に身を置けている証だと思う。ありがとう周りの人たち!


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