自分のあとがきは「次回作、乞うご期待!」
自分にあとがきをつけるとしたら、なんだろう?
ふと「物語」について考えていた。ちょうど、コルクラボの今週のお題もこんなだった。
「死ぬ時にどんな風に記憶されたいか」
僕にとっては、ほとんど同じ問いなので考えてみた。
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つまり、自分が主役の物語を生きている感覚でいる。「物語」が何かといえば、個人的には、『千の顔をもつ英雄』の著者であり神話学者のジョーセフ・キャンベル氏の神話論から始まった「英雄の旅」が持つ物語の構造に関心がある。
少し前から、自分や他人の出来事に当てはめては考えている。この話は、それだけで1つの記事(あるいはシリーズになるかも)が書けるほどだけど、一つの大事なポイントは英雄は最後に「物語」を故郷(旅立った場所)に持ち帰るという事だ。物語の終わりは、何も持たず、「物語」を持ち帰る。そうやって持ち帰ったものの上に、次の旅立ちの日を迎える。
だから、自分が死を迎える時も次への旅立ちに向けた物語の終わりになるのだろう。と、いうと少しオカルトっぽい。要は、いつもの挑戦の果てと変わりなく、どこかで死を迎え、物語を紡ぐのだろう。誰かに次を遺して。
そう考えると、シリーズ物の小説のようだ。僕がよく読む(ライトな)小説や漫画では、あとがきに本編執筆の苦労と楽しさのハイライトについて書いてあって、"物語は勝手に進み出した"とか、関係者への感謝を書いてあることが多い。それから、"次も頑張るのでぜひ読んで"など書いてある。
きっと自分の物語のあとがきも、同じように直前の挑戦のハイライトから始まり、自分のコントロール出来ない大きな流れを語り、まわりの人への温かい感謝をたくさんのべているだろう。
それから、ついうっかりと世界から居なくなった事を少しお詫びして、こう締めるんじゃないかな?
「次回作、乞うご期待!」
誰が引き継ぐかもわからないけど、僕が紡いだ「物語」は、まわりで受け取った人が、今度は自分の物語として紡いでいくのだろう。
ついうっかりとこの世界から消える日までは、僕も七転八倒しながら物語を紡いでいこう。さいごの墓標に刻まれる言葉を想像しながら、それを見て少し驚いた顔をするお参りに来た人たちを思い浮かべながら。
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おわり。
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