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こころと社会

今日もアザミが美しかった。

生きとし生けるものが、ほっとして安心できる、ふつふつ湧く喜びを感じられる心を持てますように。幸せでありますように。

コロナ時代になって、より格差が見えやすくなった。

エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの賃金の安さや生活の不安定さ、それは今も原発事故の汚染水の処理作業にあたっている人たちや、生活の安定のために軍人になって戦争にいく若者たちにも重なる。

私自身ワーキングプアや生存権という言葉が生まれたロスジェネ世代だから、彼らのことが人ごととは全く思えない。

日々小さくても美しさや喜びを見つけて生きることは、生命力にとっても、平和にとっても、とても大切なことだと思う。

でも、それと同時に今の政治や経済システムで本当に人間は幸せに生きられているのか?と目を向けるのも、とても大切なことだと思う。

やんばるの森で自給自足の生活を営んでいた家族が、ヘリパット建設によって安心して住める環境を失った出来事がすごく象徴的に思い出される。

個人の作る自然と繋がった小さな喜びの空間が人間生命の根本にあるのは間違いのないことだけれど、大なシステムを決めたり運営する人たちの認識が幼く未熟な時、その小さな喜びの空間が暴力的に奪われてしまうことがあるということうを感じていたい。

他者へのエンパシーに基づいた幸せの経済学、地球に根ざした政治が、これからの世界で人間が生きていくために考えないといけないテーマだし、それを具体的に政治、特に経済活動に落とし込んでいくこと、貨幣制度の見直しが大切だとつくづく思う。

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