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戦争と薬物

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疲労、飢餓、恐怖、睡眠不足、これらが戦争のもっとも基本的な要素である。薬物はこれらの問題を中和する手段である。個人の戦闘行動も、集団の戦闘行動も、すべてその当時の文化規範や道徳規…
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2022年10月の記事一覧

ロシア軍はウォッカについて驚くほど自由で寛容だった

なによりもロシア皇帝軍の特徴は、ウォッカについて驚くほど自由で寛容なことであった。浴びるほどウオッカを飲むことが軍隊での習慣であり、そしてその習慣が規範にまで高まり、国民性の重要な一部分となった。軍隊では大酒は決して軍務と相容れない行為ではなく、むしろ節酒が政治的な逸脱行為だとみなされることもあった。 毎日30杯以上のワインを飲んでいたピョートル大帝(1672-1725)が、18世紀の初めに皇帝軍の水兵に週3回のウオッカの配給を許可した。その後、チャルカ(charka)と呼

ラム酒は大英帝国のシンボルだ

西部戦線の塹壕の朝は、まだ薄暗い午前4時半頃に始まった。 兵士たちには紅茶とパン、それに少しのベーコンが与えられた。平和なときは、塹壕の外で朝食を執ることもできた。さらに運が良ければ、司令官が濃くて強いラム酒を配給した。S.R.D.(特別食糧部)と書かれた陶器の瓶から、一人当たりティースプーン2杯ほどのラム酒が鉄のスプーンで与えられた。それはまるで厳かな宗教儀式のようだった。ただちに熱い紅茶に入れる者もいたが、ほとんどはそのまま時間をかけて舌に染み込ませた。 サトウキビの

ヒトラー

胃潰瘍や不眠症に悩まされ、深刻な健康不安からアルコールもタバコもやらなかったベジタリアンのヒトラーは、健康のためにさまざまな薬物にどっぷりと頼り切っていた。 ナチスが政権をとった1933年から崩壊するまでの1945年まで、ヒトラーがもっとも信頼していたのは、主治医のテオドール・モレルであった。モレルはヒトラーに疲労回復やうつ状態を回復させるための静脈注射を毎日打っていた。ヒトラーがとくに強い刺激を必要とするときには、ストリキニーネ、ホルモン、メタンフェタミン(日本では「ヒロ

トップガン

1970年4月17日、重大な事故(酸素タンクの爆発による電力不足)と数々のトラブルに悩まされたミッションの最終日、アポロ13号の宇宙飛行士たちは極度に疲労していた。追い討ちをかけるように、さらに司令官ジム・ラヴェルがコンピュータ・エラーを起こし、地球への帰還準備がほぼ絶望的になった。NASAは、文字通り苦心惨憺の末、無事に彼らを地球に帰還させることができたのだが、NASAが決断した救出作戦のひとつは、事前に支給されたデキセドリン(覚醒剤)を服用するように指示することだった。

四肢の負傷は切断が最適の治療法だった

歩兵が両手で抱えて照準を合わせ発射する小銃は、すでに15世紀半ばには知られていた。銃身に螺旋状の溝(ライフリング)をつけたことによって弾丸に回転運動が生じ、ジャイロ効果によって弾軸の安定化が図られ、空気抵抗が減少して直進性が高まり、飛躍的に命中率が高まった。ただし、銃身に弾丸を装填するのに時間と手間がかかるという欠点があった。 この欠点を改良し、さらに武器としての性能を高めたのが、フランス陸軍大尉であったクロード・エチエンヌ・ミニエー(Claude-Étienne Mini