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母さんへの手紙をここで下書きしてみようと思う件。(まだまだ更新中ですが公開しています。)

どうも、話すより手紙にした方が相手に伝わるかもよ?とアドバイスを受けたSONOCOです。

母への不満、だけじゃなく、これから大人になった娘(私)と祖母になった母が今後の幸せに過ごしていくためのステップとして、まずは手紙を書いてみようと思いました。

手で書くのも好きですが、こうやってnoteを使うことで
・タイピングの音が気持ちいい
・スマホでもPCでもできる
・場所を選ばない
・やり直しがしやすい
という、メリットをもとに、ここでまずは下書きを作っていきたいと思います。

そして、最後決まったらこの記事を投稿して、かつ母にも手書きの手紙を渡してみようかなと思っていましたが、長くなりそうなので、公開編集という形で、進めてみようと思います。

この記事が最後まで終わり、母への手紙の下書きもばっちりできたら、ようやくこの記事は完結する、というスタイルでやってみようと思っていますので、無事母に届いて、何らかの展開の報告ができるまで随時見守っていただけると嬉しいです。

伝えたいこと

さて、書く前にはやはり、伝えたいことを決めておいたほうがいいですね。

つまりゴール。

今回私が伝えたいことは、

●子供を持つ母親として
   ・子供のことは子供にさせてほしい
   ・できなくてもいいから子供の自立のサポートをしてほしい

●娘として
   ・できるできないにかかわらず、わたしをそのまま受け止めてほしい
   ・助けを求めるまで助けないでほしい
   ・本当は仲良くしていたい

つまり、伝えたい内容が大きく2つなんです。

役割としての要望。
娘として、また、母として。

母と一緒にいるとき、娘でいる分には、とても仲良くできるんです。

でも、子供たちが加わり、祖母、母、孫、の関係になると、急に母との関係が悪くなる。

ここを何とか改善したいと思っています。

何を書くか

伝えたいことは大きく2つ。母として、娘として。

1つ目の”母親として”まず伝えたいのが、祖母には孫の自立をサポートする働きかけはOKですが、代わりにやってしまってはNGだと思っているということ。

母のわが子に対するかかわり方を見ていると、どうも、「こどものため」と言いながら、「じぶんが安心したいから」という理由で動いているように見えるのです。

そして、「大人が不安だから」の理由でいろいろしてもらった結果、こどもとして「してもらうことがあたりまえ」になってしまった子供の末路が私だと思っている。のですよ。

なので、社会に出てあまりにも社会を知らずに辛かった経験があるから、今のうちに、親主導ではなく、子供主導の子育てをしたいと考えているということを伝えたいです。

2つ目の”娘として”は、もう、母親自身に自分の人生を生きてほしいと思っているということですね。

「京都に住みたかった」「漫画家になりたかった」「バレーしたかったけど、親が許してくれなかった」「別に学校の先生なんかになりたくなかった」子供のころよく母から聞きました。いや今でも聞きます。「老後をのんびりすごしたかった」なんてのもね。

でも無理してきたから、やりたいことを我慢して目の前のことを必死にやってきたから、それをわかってるから、もういい加減自分のやりたいことをしたらいいんじゃないかなって思ってるということ。

でもそれが、相手に迷惑にならないことが勿論条件ですけどね。

孫の相手がしたい!だから孫の世話をする!はやっぱり違うと思うので。

母親として過去を振り返る

母親として、どうして親主導ではなく子供主導にしていきたいかというと、私の経験からですね。

私はひとりっこだったので、母の手がよく届く状態だったと思います。
とはいえ、母はフルで働いていたので、専業主婦のように家にいたわけではないのですが。

それでも、いや、それだからこそ、母なりに一生懸命私にかかわってくれていたんだと今なら思います。

ただ、内容としては、作業が多かったかもしれません。
・通学のために駅までの送り迎え
・はし箱を洗ってもらう
・自分が気づいていないことを先に気づいて教えてくれる
・朝ごはんを作ってもらう
・家の片付け
・朝起こしてもらう

本当は、ぎゅーってハグできたらそれでよかったのかもしれません。

けど、思い返すとあまり母親とそういうことをしてきた記憶がないのです。
(その分父親とは二人であちこち行ったり、もちろん小さいころは肩車とかすごく触れ合ってた記憶はある)

ただなんとなく、いつも母は父の隣にいるというより、ちょっと後ろにいる、という感じでした。

で、そうやって世話をしてもらうことが当たり前になってると、世話が足りない時が不満になるんですね。

朝ごはんがないとなんで?!とか、そもそも自分で起きられなかったりとかね。

でも自分悪くない、みたいな。

いやもちろん、こんなに自分勝手だったわけじゃなくて、もちろん感謝の気持ちとかはあるのです。

ただ、裏でどんな努力があったのかとか見てないからわからない。

料理を作ってみて初めて、ごはんってできるまでにこんなに時間かかるんだって気づくのと同じで、あることがあたりまえになると、ないことへの不満やあることへの感謝の度合いがちがうんですね。

・・・時間が来たので、いったんここまで。
このまま下に加筆していきます。

つづく。


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